ううむ? この差は?

(注)1月23日に書いた記事。

 

昨日は、いま取り組んでいるフィクションに必要な、ある資料を集めていた。
イマジネーションだけでは絶対に書けない内容やシーンは、確かにある。


ここで思い出した。
文筆ではなく漫画だけれど、せっせと作品を描いては公募に応募し、応募しては落ち、でもまた描いていた元同級生の逸話。


主に時代物の漫画を描いていた彼女は、当然ながら自作の登場人物たちが生きた頃の時代考証もしなければならず、それには膨大な資料を集める必要があったのだが、時にそれに夢中になり過ぎて肝心の筆が止まってしまうことがよくあったと言う。


はあ?


まあ、わかるんだけれどね。
彼女の場合、「公の歴史であらわされる事件」に関する詳細はもちろん、その時代の人々が着ていた衣装とか、食べていた食材とか、一般に催されていた折々のイベントとか、作品を形成する上で調べないといけないことは山ほどあったと思う。


それを承知で、そのような、あまりに瑣末事にとらわれ過ぎると、オハナシは成立しない。
ここいら、遊び半分でも、小説なり脚本なり書いたことがある人は、痛切に感じるはず。


あるいは、瑣末事に関心を抱くことは、小説や脚本、すなわちオハナシに深く関わり合っていても、オハナシを具現化する俳優や脚本家にはない能力を備えているのかなとも、感じる。


前々から疑問に感じていた。
「仮に夏目漱石の小説を読んで感動したAとBがいるとする。Aは自分でもこんな小説を書きたいと思い、Bは漱石がこれを書いた個人的社会的背景を考慮した上でこれを分析したいと思う。この差は?」


ううむ?
本当にどうなのか?