ADHD、及び傾向がある人は、自分が認められる場所を作ること。

入院生活は退屈なものだから、つい文章を書いたり、それ関連の調べ物をしたり、SNSをしたりして過ごす時間が多くなるんだが、Wi-Fi環境がないところで携帯をいじっていると、使用可能量がどんどん減っていく。
気をつけにゃ。

一昨日と昨日、デモンストレーターの駆け出しだった私にいろいろと仕事を教えてくれたベテラン同業者に
「あんた、小さなケガが多いなあ。注意力がないんやな」
と指摘されたことがきっかけで、自分にADHDの傾向があることに気付いたと書いた。
この時、46歳。

もっとも、我が軌跡をたどってみれば、物心つく頃より
「落ち着きがない」
「忘れ物が多い」
「うっかりミスが多い」
「片付けが出来ない」
と、周りに言われ続け、学生時代はもちろん、社会に出てからもけっこうしんどい思いをしてきた。
基本的にずっと仕事をしていた私だけれど、家庭に入った、すなわち専業主婦になったADHD、あるいはその傾向がある女性も、夫や姑に家事のやり方を逐一取り上げられて責められ続け、
「私は主婦落ちこぼれなんだ」
と、劣等感を抱くようになったケースも少なくないのではないか。

「落ち着きがない」の「忘れ物が多い」の、ADHDの諸要素への指摘の後には、必ずと断言してよいほどマイナス評価と、そのマイナス部分を修正すべく「叱責」がついてくる。
「こんなことがないよう、もっと努力しなさい」
「出来ないのは、あなたの心がけが悪い」。

いや、努力しているのだ。心がけてもいるのだ。なのに、どうしても1つか2つ、抜けてしまうのだ。
努力して心がけている当の自分ですら出来ることが出来ないのは後ろめたいのに、そこへ他者からの叱責が加わると
「やはり自分はダメ人間なんだ」
と、ますますしょげてしまう。

くだんのベテラン同業者のおばちゃんは、決してそんな否定一点張りの言い方はしなかった。
私の不注意によるケガの多さにあきれながらも
「まあ、これも、あんたの愛嬌のひとつやなあ」
と、こんなニュアンスでとらえた言い方をしたのだ。
この背景には、やはり、私の「楽しそうに仕事をしている」実態があったと思う。

「楽しそうに仕事をしている」
と感じてくれた人はおばちゃん以外にもいて、大阪南部の某スーパーの年嵩のチェッカーさん、湖北の大型店の鮮魚売り場のパートさん、やはり湖北の某店のデイリー(原則、毎日仕入れる、日持ちがしない商品。豆腐やヨーグルト、パンなど)担当者さん、その他の人たちにも
「仕事、面白い? すごくノッているね」
「お姉さん(私のこと。関西では、女性に、必ずしも若くはなくても「お姉さん」と呼びかけることがある。くだけた呼び方)、うまいこと、売りはるなあ」
「お姉さんの元気のいい声聞いていると、私、元気になるわ」
とか、たくさんお褒めの言葉をいただいた。

お客さんにも
「クチ達者やなぁ。それに敬意を表して買うわ」
「お姉さんが一生懸命やっているのにほだされた」
「お姉さんの笑顔、すごくエエ。一個買うから頑張って売りや」。

人間は、自分を認めてくれる場所があれば自己肯定感が安定するため、多少のハンディや難点をかかえていても何とかやっていくものである。
否! むしろ、その場合、ハンディが個性となりうることも珍しくない。

繰り返す。ADHDを卑下に感じる必要はない。
そのためにも、ADHD、及びその傾向がある人は、ぜひ得意分野をいかした「自分が認められる場所」を作っていて欲しいと思う。