あとになってわかってくる、大切なこと。

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「俺の大事な肛門をとるなんて、とんでもない。オナラも出来へんやんか。医者は悪くなったところをすぐに取って、後始末をすれば終わりだと考えている」

と、手術はおろか、抗がん剤放射線などによる治療すら拒否し、食事・生活様式その他の改善と自然治癒力による「治療」を選択決意した夫に、納得出来る点も出来ない点も含め、敢えて200%寄り添うことにした背景の1つに、子どもが巣立っていた、ということがある。

これが、小さな子どもが複数いるとか、受験生を抱えているとか、そういう状況だったらなあ、、、どうだろう?

人工肛門になっても生き抜いてよ。残された私たちはどうなるの?」

と泣きついたかも。

私は、基本、スタンダードな人間だからねえ。

 


プラス、夫はもう74歳であり、かつ40年近く様々な治療法を研究習得し、実際にそのことで生活の糧を得てきたことからも察せられるように、自分の行為に責任が持てるだけの分別も覚悟も十分にある。

ならば、本人が納得のいく方法を後押ししてあげるのが、1番の愛情であり、理解ではなかろうか。

 


まあ、入院手術する標準式治療を選んでも、決して楽でないことは確か。

仕事仲間に、ご主人が50代で消化器系のがんになり、摘出して抗がん剤もろもろによる治療を受けたと言う人がいるが、副作用はすさまじいもので、一時は仕事仲間に盛大に当たり散らし、仕事仲間はあやうく心を病みかけた。

「幸い、子どもが2人とも社会人になっていたからまだよかった。そうでなかったら、学費のことやら、中学生くらいなら学校生活のことやら、そちらの配慮もせなあかんかったやろうからなあ」。

 


ご主人は退院出来たが、入院生活と過酷な治療で体力を消耗し、職種がら発病前に勤めていた会社は辞めざるを得なかった(ここでも子どもたちが社会人になっていたことが幸いしたわけだ)。

 


人生における最大の苦しみは病である、間違いなく。

多額の債務をかかえてダブルワーク、時にトリプル、クワトロで働いていた時は、お金のことばかり考えて苦しくてたまらなかったけれど、それだけ働くことが出来る身体も気力もあったということは、考えようによっては幸せなことだったのだ。

 


このようなことも、最大の苦しみを得たあとになってわかってくるところに、やり切れなさを感じる。

 


写真は1番上の孫。