古典づいている

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12日連続勤務が終わった。
きつかった。
わけても、昨日と一昨日は、肉体疲労にプライベートなストレスも
加わり、立っているのもやっとという状態。よく持ったと、自分で
も思う。

こんな中で私を救ってくれたのは、川柳。
以前から、担当商品があまりに売れないとか、諸々の事情で現場に
赴くのが億劫な時は、落ち込んでいる自分を茶化すことで返って奮
い立たせる意味合いも込め、川柳をひねってきた。出来はどうでも
よい。今回は、それが頻繁だった。

つくづく感じる。私も、お母さんの子どもであり、お姉さんの妹
んだなあと。
亡母は、川柳を含め歌を読む趣味があり、何度もその方面で賞を受
け、歌集も出版した。
姉は、古典を教えていた、元教師。
それなのに、私は、漢文も含め、古典が大嫌いだった。
理由は、わからないから。

プラス、小学生の頃からラジオで洋楽を聞いていたせいか、異国に
興味があった。
街で、外国人を見ると、「この人、どこから来たのかなあ?」と関
心を持ち、じっと見るタイプだった。
そのせいもあってか、やたら外国人に話しかけられた。
小学校の修学旅行で訪れた奈良で、観光に来ていた白人のおばさん
にペラペラ話しかけられ、意味もわからないのに、聞き取れた「メ
キシカンシティ」と「カマモト」の二つの単語だけを頼りに、「カ
マモト、カマモト、グッド、グッド」と返したことが、懐かしい。
そう、ビートルズローリングストーンズを聴いていたせいか、英
語の方がまだ理解出来たのだ。

それが、数年前、仕事で訪れた某店のゴミ処理場に
「分別は、ああややこしや、ややこしや」
と、壁に書いてあった従業員さん(恐らくは)の川柳の落書きを見て、変わった。
「自分の気持ちを素直にあらわしている。こうして仕事のストレスを発散させているんや。これでええんや」

川柳には滑稽の要素も加わる。
滑稽。ユーモア。
自分を滑稽に、すなわち笑い飛ばせるのは、ゆとりがある証拠だ。

写真は、京阪三条駅内の紅葉のディスプレイ。