例え下流になっても自分の世界を確立していれば

下流老人は自己責任か?
ううむ???
個々によるだろうな。
そうであるケースもあるし、ないケースもある。
ただ、これだけは言える。
人生にハプニングはつきもの。
病気をすることもあれば、予期せぬ事故に遭うこともある。
天災に見舞われることや、信じたくない裏切りに見舞われることだって、ないとは限らない。
下流老人になる可能性は誰しもあるのだ。
もちろん、この私にも(絶対になりたくはないが。でも下流老人と呼ばれている当の本人もなりたくてなったのではないはず)。

ここで思い出すのが、元ヘルパーだった仕事仲間から聞いた話。
彼女が担当していたおばあさんに、こんな人がいたのだそう。

「80代で、子どもや孫はいるみたいだけれど、今は交流がない。風呂なしのトイレは共同の老朽アパートに一人で住んでいる。足腰は弱っていて、近くなら外出出来る程度。部屋にはテレビはおろかラジオもない。お金がないから、新聞もとっていない。電話は隣に住む大家さんを通してだけ。おばあちゃんを訪ねて来るのは、ヘルパーと市の福祉関係、それとたまーに書き留めや速達を持ってくる郵便配達の人だけ。でも、おばあちゃん、メッチャ明るいねん」
「へえ、そうなん」
「うん。私もいつもニコニコしていて、こんな境遇でどうしてかなあと不思議に思っていた。ある日、わかった」。

その日、ヘルプに訪れた彼女に、おばあさんは何冊もの古ぼけたノートを見せた。
「下手の横好きでひねっていたら、こんなにたまってもうた。誰が読むわけでもないのになあ」
と笑いながら。
ノートには、おばあさんがひねった川柳が書かれていた。

聞けば、まだ新聞をとっていた頃、新聞に投稿されていた川柳を読むのが好きで、いつのまにか自分でもひねりはじめた。
「これが面白うて、はまってもうた。いや、誰かに読んでもらうとか、そんな気は全くないねん。目で見たこと、耳で聞いたこと、心で思うたこと、気ままに書いてたら、私はエエねん。川柳は紙と鉛筆さえあれば出来るし、短いから私みたいな年寄りでもしんどうないしな、、、」。

おばあさんはこうも言った。
「川柳ひねっていると、毎日が楽しいで、、、ちゅうか、イヤーなことも楽しゅうなってくんねん、、、川柳ひねっていたら」。

川柳などの文芸趣味がなくても、このおばあさんに学ぶこと、我々は多くないか。

ズバリ、自分の世界を確立させること。
ある意味で、独りよがりは、その手助けをする。