商店街のなかのスーパーマーケット

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三連休中日の昨日(11月2日)は、兵庫県尼崎市の立花商店街(写真)の中にあるスーパーで、F社の新商品「青汁ポタージュ」のデモ。
商品名からうかがえるように、青汁が入ったポタージュスープで、ほとんどの健康食品がそうであるように、これも身体には良くても味にやはり癖がある上、決して求めやすい価格ではないので、かなり厳しいデモンストレーションが予測されたが、蓋をあけてみれば、あらあら、さすがに「面白いように」とはいかなかったもののお客様の反応は極めて上々で、午後四時までに完売した。

実は、この店は、初めてではない。
今年三月、消費税が5%から8%にアップする前々日、同じくF社のウコンドリンクのデモで訪れた。
メーカー側の手違いがあり、デモ開始が定刻の一時間半遅れの11時半となってしまったが、商品の売れ行きは好調で、定時の18時30分前には売り切れとなった。

「二度も完売なんてすごいじゃないですか!」
「メーカーの営業さんがびっくりしてはりましたよ」
と、お店の方々。

いえいえ。
これを可能にしたのは、ひたすら立地条件。
ズバリ、商店街の中のスーパーだったからこそ、成し得た「快挙」だったのだ。

この仕事を、ある程度の年数やっている人なら、アタマではなくフィーリングで理解していただけると思う。
地元密着の商店街内に建つスーパーは、いわゆる「一般の」スーパーにはない特徴があり、それはそのまま、来店されるお客様の「キャラクター」につながる。
ハートウォーミングなのだ。
お店とお客様の距離が近い。
モノとカネだけが行き来する関係ではない。
ココロや、プラスマイナス面も含めた「個人情報」までが行き来す
る。
そう、日常の買い物とくれば、都会では商店街、田舎ではよろず屋だった昭和三十年代のように。

「やあ、久しぶりですねえ! しばらくお見えにならないので、どこかお悪いのかと、私たち、心配していたんですよ」(店側)
「気を煩わせてすまんかったなあ。ちょっと、腹具合がおかしゅうてな。別に変なものは食べてへんのやけど」(お客様側)
「そりゃ、この気温ですからねえ、、、真夏並みに暑かったかと思うと、翌日にはぐっと冷え込んだりして。誰でも体調を崩しますよ。でも嬉しいですわ、元気なお姿を見ることが出来て」(店側)

販売者である店側と、購買者であるお客様側がこう言い合える関係なら、会話の途中で、
「ところで、今日は、これこれの宣伝販売をしているんですよ。メーカーの専門の人が来ていますよ。ちょっと試してみません? 試すだけでも全然かまわないから」
との流れになることも、不自然ではない。

かくして試飲なり試食がすすむ。お店側が誘導してくれるのだもの。
これだけで、販売に至るまでの過程は半分以上クリア。

商店街とスーパーマーケット。
かつては、敵同士だった。
現在では違う。
地域活性化という課題を前に、お互い、持ちつ持たれつつとなっている。
好ましい傾向だ。

商店街は、残念ながら、年々すたれていっていると聞く。
時代の流れ?
いえいえ。そうさせては駄目。断じて、ノー、ノー。

少し話がずれるけれど、外国語が全くわからないのに翻訳ソフトを使って外国の人と話をしてそれで相手の言わんとしていることをわかったつもりになっている人に、私はFBのタイムラインで疑問を呈したことがある。
「言葉は機械まかせにしていいもんじゃない。人間、血の通った人間だけが言葉を持ち、長い年月をかけて次代に伝えてきた。だから、わからなかったら、辞書をひく。この程度の手間は惜しんではいけないんじゃないの?」
実際に翻訳ソフトを使ったことのある方なら、ピンと来るはず。
翻訳ソフトの文章の不可解なこと。
あれで、意思疎通がオッケーと感じる人。
少なくとも、私は異人種と感じる。かかわりあいになりたくない。

販売も同じ。
どんなにネット販売が普及しても、最終的に、商売は売り手の顔と買い手の顔が見えるシチュエーションにいないと。
人間やん、どちらも。
あなたも私も生きている、幸せになりたくて。
買い物もその願望の延長。
それをIDが何たらかんたらだけで済ませてしまう世の中になったら、日本どころか、日本を含む先進国と呼ばれる国(一応は日本は先進国なんだそうな)すべては滅びてしまうと、独断と偏見は承知で、真実おもっている。