さてさてさて。またまたまた(?)、お茶ネタだよ。
緑茶に代表される日本茶の茶葉離れが進んだ背景には、1970年代以降の、食生活の急速な欧米化があると思う。
朝はご飯ではなくトーストという家庭が増え、昼もうどんや丼ものに代わってパスタやグラタン。夜もかつては魚がメインディッシュだったが、いつの間にか肉に座を譲り渡した。
こういう食事内容なら、そりゃ一緒に飲んだり、あるいは食後に一服する時の飲み物も、欧米のもの、例えばコーヒーや紅茶の方がしっくりくるわなあ。
とは言え、ここにきて、和食や和菓子が見直されてきているのは幸い。
便乗して、「美味しい食事の後には美味しいお茶を」「美味しい和菓子と共に美味しいお茶を」みたいなアプローチをすれば、茶葉離れに拍車がかかるのではなかろうか。
何故って、急須で淹れたお茶は、香といい味といい、ペットボトル茶やティーバッグ形式のお茶(急須がなくても美味しい日本茶が手軽に淹れられるというコンセプトのもとに開発された)とは全然ちがうもの。
真実「美味しいお茶」の風味を知る人が多くなれば、売上も自然と上向くと感じる。
それに、茶葉の香りって、理屈抜きで、素朴な郷愁をそそられない?
ちょうど、どんなに時代が変わろうと、「笠地蔵」や「桃太郎」、「浦島太郎」などの昔話が語り継がれるように。
日本人としての「情」(じょう)を刺激されるのだ。
「情」(じょう)は、ややもすれば「非近代的」だの「おんな子どものもの」とされ、軽んじられる傾向にあるが、どうしてどうして!
商売に限らず、政治だって社会だって、血や涙がある人間がすることだ。
人は、最終的には、情(じょう)で動く。
その情(じょう)に日本茶の茶葉の未来をゆだねるのも、悪くはなかろう。