スーパーと大学は冬の時代

近所にたった一軒あったスーパーマーケットが突然なくなり、何かと不自由していることは、前回の記事で述べた。
生協の宅配と大手量販店Sのネットスーパーを利用している我が家ですらこうなのだから、そういうものと無縁な家庭はもっと困っていることだろう。

「☆(主に近畿地方でチェーン展開している某スーパー)あたりが、あのあとに来てくれないですかね。ここ二三年勢いがよく、店舗を増やしているじゃないですか」
「いや、あそこも本当のところは大変らしいですよ。借金が○億あるって。そら、あんだけのペースで新しい店を作っていたらねえ! (開店して)元をとるまではしばらくかかるやろうし」
「はあ、、、。どこも厳しいんですね。六地蔵のヨーカドーも今月で撤退してしまいますし。あんな大きいところでも、(営業を)続けるの、難しかったんですね」
「そうそう! 大きいところと言えば、あのイズミヤかて、関東での店は全部閉めて、もう関西だけで商売するって、新聞に書いてありましたワ」
「うーん。大学と一緒で、スーパーも冬の時代ですね、、、」

これは、私と、ご近所の奥さんとの会話である。
大学を例に出したのは、もう何年も前になるけれど、習い事の教室で知り合ったある女性が私に嘆いた、このセリフを何故かしら鮮明に覚えているからだ。
「来年、私の母校がなくなる。校名すらなくなる。でも、学園トップにしたら、在校生の今後や教職員の生活を考えるとこうするしかなかったんだろうな」

詳しく聞けば、単科大学だった彼女の母校は、業界では長い伝統を持つものの、昨今の少子化のあおりを受けて年毎に志願者数が減り、とうとう定員割れする事態になってしまった。
そこへ浮上したのが、某総合大学による吸収案。
「吸収なら、校名は消えるけれど、在校生と教職員はそのまま。でも廃校なら、、、。トップも決断したんだと思う」

スーパーにも同じことが言えないか。
今回も、せめて「吸収」だったら。
かつて幾つかのローカルスーパーが経営に行き詰まった結果、イオングループに参入したように。

上の彼女の話を続けよう。
「もっとも、その総合大学にしても、私の母校を吸収することで何らかのメリットがなければ、話を進めないはず。どちらが先に声掛けしたのか知らないけれど、少なくとも母校の存在価値はあったんだなと。それが救い」

そうだね。
突然なくなってしまった、近所のスーパー。
どこからも吸収や合併の話がなかったから閉店したのだろうけれど、ということは、少なくとも経営する側からは存在価値がなかったのだろうね。
残念ながら。