昨日は、朝から晩まで、だらりだらり。
販売が難しい商品の担当が続いた後。こういう日があってもよい。
さて。先だっても紹介した86歳のデモンストレーターの話題に戻る。
彼女は、実は我々の世界では「知る人ぞ知る」といった存在で、中には
「あの年になってまでも働くなんてねえ、、、」
と陰口を叩く人もいるのだけれど、直に向かい合って話をしていると、いろいろと教えられることは多々ある。
1、出来ないことは無理をせず、その方面に詳しい人の手を借りる。
今日日は、仕事を発注するメーカーから
「現場(売場)の写真を撮って送って」
と求められることも珍しくない。
「メールだとか、そんなん、さっぱりわからん」
と言う彼女は、撮影は店の従業員に、送信は携帯のショップ店員に頼むことで、その課題をクリアしている。
我々のメインの仕事は、あくまでデモンストレーション。撮影だの送信だのはサブ。だったら、その部分は他人に任せたら済むことなのだ。
2、自らが歩んできた軌跡=過去を、まっすぐに、だが、淡々ととらえ、受け容れる。
凄腕の営業ウーマンだった彼女。かつては相当な額を稼いでいたらしい。
とは言え、基本給は少なく、ほとんどは歩合。よって、受給される年金額は少ない。
そのことに対し、愚痴るでもなし、
「若い頃は年取った時のことなんか考えへんからねえ、、、。ま、時代が変わったんよ」
と、アハハと笑いながら、受け容れる。
時計の針は巻き戻せない。ああしてよけばよかったと嘆いても現実は解決しないどころか、余計なエネルギーを使うだけ。
アハハと共に空中に投げてやった方が、身も心も軽くなるのだ。
3、現在の自分を肯定し、受け容れている。だから、人としての基本的な承認欲求も素直にあらわすことが出来る。
彼女は、仕事を終えて報告書に店舗担当者のサインをもらう時、担当者に必ずお願いしている。
「今日の私の仕事ぶりについて何かひとこと書いて下さい」。
相手が80歳過ぎの老婆であることを考えたら、店の担当者もプラスのことしか書かないのだが(仮に売上がよくなくても)、この「評価してもらう」行為が、彼女の労働意欲を駆り立て、引いては存在意義を認められる原点となっている。
ぶっちゃけた話、他人に評価をお願いすることは勇気を要することであり、同時に、自分と言う存在を自分で引き受けないと不可能。そこにいらぬプライドが入り込む余地はない。
いらぬプライドなど、捨てた方が自分も楽。
4、小さな自分なりの楽しみを大切にし、人に惑わされない「私軸」で生きている。
彼女の楽しみは、休日の銭湯。1時間半以上、じっくりと浸かるそうな。
さらに語った。
「最近は、ボランティアで年寄りの世話をしている人もいて、私みたいな一人暮らしの者は特に気にかけてもらえる。どうこういっても、長生きした方がトクやよ。私は90歳を超えても現役でいたい」。
無責任で無神経な外野など無視するに限る。人に迷惑をかけているわけでなし、自分は自分の生き方を生きる。
これぞ、いちばん幸せな、そして、いちばん贅沢な人生ね。