節分~「まあ」と言う言葉、逃げ道にもなる

昨日から、兵庫県川西市にある某スーパーで、節分豆の量り売りをしている。

いわゆる節分豆の「福豆」をはじめ、福豆に海苔を混ぜた「磯豆」、福豆をチョコレートでコーティングした「チョコ豆」など、6種類の豆を計量器で測って袋詰めし、お客様にお薦めするこの仕事は、毎度ながら楽しい。
ぶっちゃけ、通常のデモンストレーションほど売上に責任がないし、何より業務に励む私自身、「福はうち。鬼はそと」と掛け声をかけながらで豆を投げた頃を思い出し、童心に返ることが出来るからだ。

ところで節分。ネーミングだけは広く知られている割には、本来の由来は知られていない、、、なんてこと、感じたこと、ない?

だとしてもエエか。
お客様にしても、神仏やら暦やらの行事の意味を、真実、知っている人ばかりではない。
ほとんどはサワリだけ。

それで、世がまわって、万々歳で、笑顔になる人が増えるなら、まあ、、、ね!
ええですがな。
るんるんるん。

フェイスブックのタイムラインでも書いたが、この「まあ」と言うコトバ、料理に例えたら万能調味料?
曖昧なだけに、逃げ道を作ってくれている。

例えば、若い頃から決して怠けていたわけではないのに、やることなすことチグハグ、あるいは裏目に出て、冴えない現在があり、
「何をしてもうまくいかん」
と嘆く方にも、「まあ」は救いの言葉だわなぁ。

写真は、今日の現場の最寄駅、川西能勢沿線の滝山駅。

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