ベトナム・カンボジア旅行での浪費を顧みて、自分の「消費のクセ」に気づいた私。
それは、どのようなものだったか?
まず、自慢するわけではないけれど、私は家族や友人たちからたびたび言われるように、もともと物欲自体はそんなに強くない方だと思う。
洋服をはじめ、持つモノにブランドはもちろん数も求めない(基本的に自分が満足したらよい)し、そもそも
「本が読めて、書き物が出来て、ほろ酔い加減にさせてくれる程度の度数の大衆酒があれば、ぶっちゃけ、この世は楽しいね」
と感じる人間なのだ。
群れるのが嫌いで、奥様方とのランチやショッピングにも行かず、親戚付き合いも最低限にしているから、交際費はかからない。
運動は、弁当持参で出かけるハイキングかウォーキング、せいぜい標高600メートル程度の底山に登るプチ登山で、費用は最初に買ったトレッキングシューズ代のみ。
ホンマ、お金を使わないタイプだと、自分でも感じる。
こんな私でも、驚く速さで財布からお金が消えていくことがある。
「気分が高揚している時」と「ストレスが溜まっている時」である。
特に「ストレスが溜まっている時」。
10年ほど前になるだろうか。ヨーロッパ産の某ワインの宣伝販売で、メーカーからも店舗からも大変な販売プレッシャーをかけられ(目標以上の売上数は達成できたものの、業務が終わった後で胃腸障害をおこしたほど)、ストレスから私にしては分不相応な竹製のブラシを買ってしまったことがある(ただ、お値段なりの上等品。頭皮への刺激も負担も軽く、愛用している)。
これほどでなくても、何かむしゃくしゃした時、吸い寄せられるようにコンビニに立ち寄り、化粧品やお菓子を買ってしまったり。
使う金額は多くなくても、積もり積もれば、こういうチョコチョコ買いもあなどれない「浪費」となる。
もっとも、我が消費のクセに気づいたことは、お金をコントロールできるようになるきっかけとなった。
その後、明らかにストレスから買い物をしようとする時には、
「それ、本当に必要なの? 今のイライラ気分や寂しい気持ちで買いたいだけじゃないの?」
と、自問自答するようになったからねえ。
まあ、一足飛びにお金をコントロール出来るようになったわけでなく、何度も挫折したり失敗したりを繰り返しながら、少しずつ少しずつ自主トレーニングして、現在がある。
お金をコントロールすることは、自分の人生を自分で作っていくこと。
とても楽しい作業だ。
写真は、カンボジアのバンテアイ・スレイ遺跡でみた「東洋のモナリザ」。
確か、ノーベル賞作家マルローが、あまりの美しさのあまり盗み出そうとして捕まったんだよね。