人生はネバー・ギブ・アップ。執念あってこそ!

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87歳の現役デモンストレーターの話をもう少し。


実は、同業者の中にさえ
「あんなトシヨリになっても働くなんて、おかしいよね!」
と、小馬鹿にして、眉をひそめる輩も存在するのだ。


でも、彼女は別に人に迷惑をかけているでなし、まして子や嫁に介護の負担をかけているでなし。
日本は、なぜ「老い」に類型的な見方をするのだろう?
トシヨリになって働くことは、そんなにいけないことなのだろうか?


彼女と話をしていると、1日でも長く働くためにずいぶんと努力していることがわかる。


もっとも、彼女のことを私から聞いた姉によると、それは「努力」」をはるかに超えた、もはや「執念」だと言う。
「老いて元気な人は、押し並べてそのこと(老いても元気)への意識がけたはずれに強い」
なるほど、、、。


まあ、「老いて元気」に限らず、売上達成も試合での勝利も、自分の店を持つとかタレントデビューするとかいった夢の実現も、究極は「執念」のなせるワザだわなあ。


ネバー・ギブ・アップ。
人生の明暗を分けるのは、実は、ある意味で時代錯誤な根性論にも通じる、単純明快なこのことなのだ。


写真は、京都御苑内で見た見事な紅葉。