「春よ、来い」の普遍的なテーマ。

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ハプニングてんこ盛りの北京冬季オリンピックも終了し、閉会式の20日に行われたフィギュアスケートのエキシビジョンで、男子フィギュアシングル4位の羽生結弦選手はこの曲をバックに感動的な演技を見せた。


「春よ、来い」。中学校の音楽や国語の教科書にも掲載されており、個人的にも松任谷由実のオリジナルの中で1番のお気に入り。

 


人生は出会いと別れの繰り返し。春は卒業や入学入社転勤など、特にその傾向が顕著。
始まる未知の日々にワクワクする人もいれば不安におののく人もいるだろう。嬉しさ、楽しさ、悲しさ、寂しさが交差。でも、どんな人にも春はやってくる。
そして、そんな「春」を人は数限りなく迎えながら、それぞれの生を歩んでいくのだ、、、。

 


こういう普遍的なことがテーマ。
歌詞の中であらわされる、瞼を閉じたり迷い立ち止まったりした時に愛や夢をくれる「君」は、恋する異性ともとれるし、慈しんでくれた家族とも、大切に想ってくれた友ともとれる。
また、慕ってくれたペットとも、癒しを与えてくれた花々とも、自分にとって大切な何かともとれる。
要は、置かれている環境や状況は違えど、皆に春は必ず訪れるということ。
長引きコロナ禍に疲れた現在の世に、これほど突き刺さるメッセージはないと感じる。


なお!
私はこの歌を初めて聴いた時、なぜか脳裏に源氏物語に出てくる末摘花が浮かんできて仕方がなかった。
美しさや華やかさや洗練さはなく、むしろその正反対の女性だが、愚直なまでのひたむきさと純粋さと自己肯定感で源氏の心をとらえ、ついに彼女自身の「春」を手にする(「戦争と平和」のマリヤ・ボルコンスカヤに通じるものがある)。
こういうキャラクターを配した「源氏物語」もまた、普遍的な課題を含んでいるから、時代を超えて読み継がれ、親しまれてきたのだね。


写真は、今回のオリンピックエキシビジョンでの羽生選手(news.yahoo.co.jpより)。