「風と共に去りぬ」を再観して考えた。

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(注)6月8日に書いた記事。

 

気持ちの上では楽でない日が続いているせいか、連続仕事が終わった日曜日の夜は、身体は疲れているのに寝付けず、偶然YouTubeで見つけた不朽の名画「風と共に去りぬ」の映画を観ていた。

 

同名の原作は、中学校1年生の夏休みに一晩で読了(首都圏の大学に在学していた姉の下宿先に遊びに行ったところ、この本が置いてあり、夫婦間のことなどわからない点は無視し、とにかく先へ先へと読み進めた。主人公スカーレット・オハラを始め、個性豊かな登場人物が織りなす起伏に富んだストーリーはまことに面白く、夢中になってページをめくった)。
映画は大学に入ってからTVで。

つまり、半半世紀以上経っての再観なのだ。


観ていて、以前から好きだったメラニーにますます惹かれた。典型的なサザンベルの彼女は、天使のように寛容で純粋で、しかも愛する者のためなら自己犠牲も厭わない。
それは、
「神様、私は絶対に負けません。人を殺してでも生きていきます」
と、戦禍で荒地となった実家の綿花畑の中で天を仰ぎながら誓うことからもうかがえるように、生の本能のままガムシャラに突き進むスカーレットとはまた別の意味での「強さ」だ。


また、最終的にはスカーレットと結婚したレット。
いい旦那さんじゃありませんか。行動力に加えて包容力もあり、時折り女性の心を掴む繊細な面ものぞかせる。
にもかかわらず、妻となったスカーレットにあんな態度を示され続けたら、そりゃ出て行きたくもなりますわな。


いろいろなことを考えさせられた一夜。
同時にあらためて感じた。
あくまで架空のキャラクターではあるが、それを承知の上でも、スカーレット・オハラにしろレット・バトラーにしろ、島国の日本からは絶対に誕生しないタイプだと。


写真は映画「風と共に去りぬ」のアメリカ公開時の宣伝ポスター(public domain)。
スカーレットを演じたヴィヴィアン・リーは主役であるにもかかわらずこの映画に出演した頃はまだ役者としてのキャリアが浅かったことから、クレジットは4番目になっている。