繰り返しになるけれど、今月3日の仕事は、奈良市郊外にある某スーパーで青果関連の宣伝販売。
「試食なんて、何年振りかねえ」
と、懐かしさと共に歓迎して下さるお客様が多く、担当商品自体もほぼ完売だった。
お買い上げ下さった皆様、ありがとうございます。
売上のみならず宣伝販売を受け入れる店舗側の協力度もよく、本来ならシアワセな気持ちが続いている中で翌日を迎えることが出来るのに、そうらならなかったのは、理由(わけ)がある。
現場までの交通の便の悪さだ。
京都市内にある自宅から奈良市の学園前まで電車、という行路そのものは、距離的にも時間的にも特に問題となるほどではない。
ところが、そこから先をバスで、となると、違ってくるんだな。
仕事をした店に1番近い停留所に止まる路線のバス。1時間に1本しかないのよ。
しかも、電車との乗り継ぎが非常に悪い。
結果、無駄に待つ時間が増え、この待ち時間が確実に体力を奪う。
当日、行きは片道2時間ですんだけれど、帰りは2時間半。
夕食後に入った風呂では、疲れのあまりウトウトして、危うく沈みかかった。
疲れは、翌日の午前中いっぱい、心身に張り付いていた。
身体がだるく、頭に鍋か何かかぶっているようで、気分も冴えない。
とは言え、仕事当日のバスの乗客数(行き4人、帰り2人)を見れば、その1時間に1本のバスですら、バス会社は、恐らくは公の援助を受けた上で半分ボランティア精神で走らせているとわかる。
それにしても、仮にバスが1時間に1本しかない地に住んだら、交通弱者(自動車の運転免許を持たない、あるいは待てないため、移動手段を公共の交通機関に頼るしかない人のこと。私もその部類に入る)と呼ばれる人たちは、通勤通学や買い物、病院通いなどに、大いに不自由するのではないかしら。
タクシーも、今ではドライバー不足でなかなか来てくれないし。
万が一、手術が必要な病を患ったら、その前には設備の整った大きな病院まで行って、あちらこちら何度も検査をする。
交通網が発達している都会にいても検査は時間をとられ、それゆえ心が折れることが多いのに、、、。
プラス、車の運転が出来る人でも、やがては出来なくなる日が誰しもくるわけで。
それを考えたら、やはり年をとったら都会に住んでいる方が何かと暮らしやすいのではないかな、と思ったりもするのだ。
写真は、1番下の孫。
車が大好きで、もちろん将来の希望職はドライバー。