(注)6年前の今日、書いた記事。
昨日は、粉雪舞う中、我が家から片道40分弱かけ、ビブレ(ショッピングセンター)内にある大垣書店へ。
エンディングノートを買いに出かけたのだ。
こういう類いの書籍(書き込み形式ではあるが一応は書籍だ)は、それなりの規模を持つ書店でないと売っていないからねえ。
「えーーーーっ、まだ還暦なのに、エンディングノート?」
と驚く方。ご存知かな、エンディングノートの持つもう一つの意味を?
それは、現実認識をした上での、新たな人生スタート。
あくまで私見ながら、自分にとっての「良き死に方」を想定してこそ、そこに向けた日々をコントロールすることが出来るのでは?
なぜなら、良き死に方は良き生き方にもつながるから。
「いやぁー、良き死に方なんてないよ。うちの父親がいい例」。
こう言い放ったのは、学生時代の同級生。
「うちは父親が経営者で、そりゃ会社を発展させて金銭的には大いに潤ったけれど、父の最後は哀れなものよ。さんざん好き勝手してきたから引退後は母に疎まれ、病気をしてからはさっさと養老院に入れられて」
ここに至るまでの過程が過程ゆえ、お母さんはただの一度も面会に行かなかったそうな。
「私たち子どももねー、父のことは好きじゃなかった、、、ただ、弟は、親子間野の愛情とは違う分野で父と男同士で感じ合う面があったのか、、、父の晩年には、割と、、、ね!」。
さあ、ここからが、良き死に方は良き生き方につながるとの具体例。
次回をお楽しみに。