デモンストレーションは演技

 昨日、1998年に製作されたイギリス映画「エリザベス」を観た。
 言わずと知れた、「大英帝国」の礎を築いた大女王、エリザベス一世の前半生を映画化したも
の。史実とは違った箇所も多かったが、それは、まあ映画のエンターテイメント性を考慮すると、
ある程度は仕方のないことだろう。

 この映画、キングだのクイーンだのがピンとこない現代におきかえたら、偉大なるお父様が経
営していた新興の土建屋を、運命のめぐりあわせから、末娘が継ぐこととなり
「先代社長の娘ていっても、しょせんはお嬢。甘やかされて育った、世間知らずさ。荒くれ男ど
もをどこまで操縦出来るのかね? ひとつ、お手並み拝見といこうか」
 と、軽蔑と嘲笑をこめて周囲が冷ややかに見守る中、数少ない味方(それゆえ、時に辛辣な提言
もする)と、笑顔の裏に野心を秘めた恋人の存在を支えに、失敗したり、生命を狙われたり、夜も
眠れぬほど懊悩したりしながら、奮闘していくうち、いっぱしの「土建屋の親父」ならぬ「土建
屋の女将」になっていく。
 そんな感じがした。

 ラストで、髪を切って仰々しいかつらと飾りをつけ、顔を白塗りしたエリザベスが、かしこま
る臣従たちを前に、
「私は国家と結婚している」
 と宣言するシーンは見事の一言に尽きる。
 たぶん、あの瞬間を境に、エリザベスは自ら「女王」を「演出」するようになったのだろう。
 きりっとした眼差しと強く結んだ唇に、決意がにじみ出ていた。
 実際のエリザベス女王もなかなかの役者だったようだ。

 私たちの仕事も、役者というか「なりきり」の気持ちがないと、つとまらない仕事である。
 同じ食パンでも、一斤98円のセール品と、その三倍近い高値がついた無添加の高級品とでは、
お客様へのアプローチの仕方、すなわち売り方が違っていて当然。
 セールストークの中身はもちろん、言葉遣いも口調も表情も振る舞いも変えないといけない。
 その商品にふさわしいキャラになりきるのだ。
 演技である。

 これは、かなりのエネルギーを要する。
 演技は「嘘っぱち」だとか「にせもの」だとかととらえる人がけっこう多く、チャラチャラし
た軽はずみな行為とみなされる向きがあるが、どうしてどうして。こんなまで心身ともに使う作
業は他にない。
 しかも、観る側であるお客様には、絶対に演技だとさとられてはならぬ。

 何かの本で読んだ。
「優秀な役者ほど、自分の内部からなりたい役柄を引っぱり出す。演技とは言っても、決して
本来の自分とはぜんぜん異なるものになることではない」。
 確かに。
 人間は多面体。その人の心には、いろいろなキャラがすみついている。
 心優しいキャラ。意地悪なキャラ。子どもみたいにあどけないキャラ。頑固親父顔負けの一
徹なキャラ。生真面目そのもののキャラ。渡世人を想わせる奔放なキャラ。
 演技とは、これら普段は深層心理の隅に追いやられて日の目をみることのないキャラの一つ
に焦点をあて、期間限定で表に出してやることなのだ。
 試食販売のデモにも多いに応用出来る。

 その意味では、バーやクラブのホステスと似ている面があるかも知れない。
 あれも、演技であって演技でないようで、でも、やっぱり演技だからね。