(注)12月29日に書いた記事。
仕事納めの昨日の午後2時過ぎ。遅めの昼食を食べながら、あらためて思った。
それは、仕事に限らず何事も信頼関係を築くには相応の時間がかかる、ということ。
ここで、今さらながらのように、自分のブログタイトルにもしているコトバが蘇ってきた。
「あおいくま(焦るな。怒るな。いばるな。くさるな。負けるな)」。
これ、口にするのはたやすいが、現実の生活の中でイザ実行となると、なかなか難しいよ。
私の場合、特に厄介なのが2番目の「お」(怒るな)。
少なくとも令和の現在。見渡してみれば、とかく、この世は腹立たしい現象に満ちている。ハラスメント流行り(?)を受け、老いも若きも心中では怒り充満な人が少なくないのだ。
特に私たち接客業の人間にとっては、ほんの些細な言動でもクレームにつながる可能性が以前に比べて高くなっていることから、尚さら「怒るな」が困難になってきている。
さて、ブログ中で繰り返しているように、私は本が読めて文章が書けて低アルコール度の酒が飲める環境があれば満足する人間。
わけても、良い本を読めば、
「幸せだ。生きていてよかった」
と心より感じる。
仕事納めの今日は、現場への行き帰りの電車内でこの本(写真)を読んでいた。3年前に99歳で鬼籍に入った、作家にして尼僧の瀬戸内寂聴氏が老いと病について書いたエッセイ集。帯の裏側に、寂聴氏が手術後リハビリに励んでいるイラストと共に
「私と一緒に長生きしましょう」
の言葉が添えられてある。
寂聴氏。いたって頑強な身体の持ち主で(何せ50代初めに出家した時、息子のような年齢の僧たちと一緒に比叡山での修行に励み、遂行してしまったのだから!)、92歳で圧迫骨折で入院するまで、老いを意識しことはなかったと語る。
「速足で歩けたし、よく食べているし、お酒も呑んでいるし、頭はボケていないし、毎日たくさんの原稿を書いていたし」(本書より)。
それなのに! である。
と、ここまで書いたところで、ご興味のある方はぜひ読んで下さい。
瀬戸内寂聴氏と言えば、その恋愛遍歴も含めて波乱万丈の生涯を送ったことでも知られ、
「子どもを捨てて若い男と駆け落ちしたり、他人の旦那を取ったり、若い頃から好き勝手に生きたくせに、よう長生きしたね」
とのマイナスイメージもあれど、終盤近くで書かれていた
「長生きするのは孤独なんです」
の一文にはハッとしたね。
そう! 肉親も友人もかつていろいろあった男たちも皆、この世にはいないのだ。
もっとも、生きるとはそういうこと。結局は1人。人は1人で生まれて1人で死んでいく。
この変わらぬ真実を前に、今年を送り、新しい年を迎え入れよう。