京の夏はお公家さんの暑苦しさ

我が京都に梅雨明け宣言がなされて数日。
暑い。ハンパではなく暑い。何とあらわしたらよいか、こう、、、全身を巡る細胞の一つ一つにいたるまでまとわりつく。こんな感じ。
肌も毛穴も汗でぐっしょり。風が吹かないから、さらにべっとり。
暑苦しいのだ。
もっとも、このねっとりとした感触こそが京の夏を京の夏たらしめているのかも知れないとは、強く思う。

なぜって、京は基本的にお公家さんの町。
で、ホラ、あの世界って、お公家さん文学の「蜻蛉日記」とか源氏物語」とか「更級日記」とか、ちょっとめくればわかるけれど、暑苦しいよね、、、独特。読んでいると、息苦しくなってくる時がある。
これは、生活に追われている庶民の我々には無縁なもので、その意味では下々の者には下々の者なりの気楽さがあっただろうなあと、「京の夏」と今日も対座しながら、勝手に想像しているのだ。