ものすごくきれいな人は肌に透明感がある。

、今日から二日連続で現場に立つ。
どちらも鍋物(そっ。残暑厳しい折りなのに、もう鍋なのよ)。
持参する荷物は大変だけれど、業務内容そのものは楽。

昨日、近所の理容院でシェービングをしてもらい、古い角質が剥がれ落ちたせいか、今朝のメイクアップ乗りは最高。ほんの少しのファンデーションで、顔色もだんぜん明るくなるし。
金を払っただけの効果はあるのだ。

皮膚があまり強くない私(だから、数年前、利尻島昆布の白髪染めでアレルギーをおこしたのだ)。
お化粧も最小限にとどめたいと、つねづね思っている。
すなわち、ベースと眉とリップ、状況によってはシャドウとアイラインとマスカラをサッ。これくらいね。
肌がくすんだこの歳になってまさか「すっぴん」で人前に出るわけにはいかない(そもそも就業規則で「ノーメークで仕事」は禁じられている)から、まあ、この程度はねえ!

薄化粧で格好がつくためには、元々の肌がきれいでないといけない。
赤ちゃんのようにツルツルとしていて、しかもピチピチと正気がみなきる肌。
こういう肌をゲットし、キープし続けるのは、簡単そうで簡単ではない。

職業がら日々多くの方々に接していると、たまさか「ものすごくきれい」な人に出会うことがあり、そんな時は勿論その「きれいさ」に圧倒され、言葉を失ってしまう。
断っておくけれど、「ものすごくきれい」な人すべてが、いわゆる目鼻立ちが整った顔の持ち主ではない。むしろ平々凡々な顔立ちの人もいる。
なのに、「ものすごくきれい」なのだ。少なくとも、見る者にそう感じさせるのだ。
なぜ?
肌なんだな。
ハイ、肌なんですよ。
肌にすさまじいまでの透明感があり、それゆえにピーンと張り詰めた、一本芯のある美しさを醸し出しているのだ。

ローマが一日にしてならないように、美肌も短期間の小手先ケアによって手に入るものではない。
だったら、これは努力するだけの価値があると感じない?
肌には、その人の生活態度や人生観までがにじみ出ている。