もう14年か13年前の元旦だったか。
湖北(滋賀県北部)にある某店での仕事を終え、京都に帰るべく新快速の席に座った私に
「お隣りさせてもらっていい?」
と、声をかけてきた人がいた。
その日、私のデモ場所の隣で青果関連の商品のデモをしていた同業者だった。
仕事の話、家族の話、子どもの話と続き、ポツリと言った。
「ウチ、これからもう一つの仕事に行くねん」。
「えっ」
と驚いた私に、
「あ、いや、ホステスとか、そういう華やかなんとちゃうよ。単なる夜勤。今、主人が働かれへんから、ウチ、デモンストレーターの仕事が終わったあと、夜勤の仕事に入ってんねん。週に3回ほどやけど」
「ああ、それはそれは。生きていたら、そんな時もあるよね、、、」
「主人、ええ人やねんけど、ちょっと性格的に弱いところがあって、心を病んでもうたんや、、、」
そして、二人の子どもの学費を払う苦しさや、それでも子どもたちにはやりたいことをやらせてやりたいから一生懸命になっているのだと、延々と語った。
別れぎわ、彼女は私に言った。
「話を聞いてくれてありがとう。ずいぶんと気持ちが楽になった。今夜の夜勤、頑張れそうや」。
そうなんだよね。人は聞いてくれるだけでいいんだよね。
人はしょせん人を助けられない。置かれた状況も違うから、アドバイスも無理。
それでも、今の自分の思いを聞いてくれた。これだけで、心は違ってくるのだ。
悲しいかな。こういう機関ってないよね。
絶対に必要だと感じるんだが。
ちなみに、彼女には、この後も数年置きに現場で顔を合わせている。
そのつど近況報告をするのだけれど、愛する子どもさんは二人とも無事に大学を卒業し、社会的に必要とされる仕事に就き、現在ではおのおの家庭も持ったそうな。
彼女の頑張りは実を結んだのだ。
めでたし。めでたし。
ただ、やはり相当な負担を身体に与えたのだろう。同い年とは思えないくらいに老けてしまった。
彼女の話を親友にしたら、
「まあ、それでも子どもさんたちはちゃんと育ったんやろ。そのことだけで良しとせにゃ。何かひとつエエことがあったら、生きてきて万々歳。そうちゃうかな」。
なるほど。自分の人生に責任を持つとは、こういうことなのかも知れない。