印象深い現象や体験に接すると人は疲れを覚える〜映画「グロリア」。

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(注)2021年12月4日に書いた記事。

 

昨日は、午前と午後、2度も風呂に入り、TSUTAYAのネットレンタルで借りた映画(カサヴェテス監督「グロリア」。1980年、アメリカ)を観た後、コンビニおでん(大根、こんにゃく2種、練り物、昆布、卵、ちくわ)を焼酎と共に流し込んでいたら強烈な眠気におそわれ、そのまま今朝の6時まで床にいた。
途中で目覚めることなく、夢もみない、正真正銘の「爆睡」だった。


一般に、印象深い現象や体験に接すると、人は良い意味でも悪い意味でも疲労を覚える。
よく、
「美術展で名画と向かいあっていると全エネルギーを吸い取られたみたいでクタクタに疲れた」
という話を聞くが、あれと同じだ。


「グロリア」が、映画史の流れや映画学の理論上からみてどうかはさておき、大衆的な面白さというか視聴者受けする点では、間違いなく「名作」の部類に入る。
とにかく、こちらを飽きさせないからねえ、、、まあ、ストーリーの性質上、スピーディな展開になるのはやむを得ないし、そのぶん変化もつけざるを得ないので、結果的に
「観る者は飽きるヒマもないわなあ」
となってしまうのだけれど。


それにしても、ざっと40年も前、アメリカでは既にグロリアみたいなタイプの女性がヒロインになり得たことを考えれば、日本はやはり女性に対してキツい国だとあらためて認識した。


写真は、その「グロリア」(動画配信/Filmarksより)。

初めての現場へは早い目に出発するということ。

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(注)2021年12月1日に書いた記事。

 

今日は大阪南部の、現在ちょっと話題にのぼっているスーパーで仕事。

初めて訪れる現場なので、1時間早い目に出発した。

今回に限らず、その店に初めて行く場合、私はいつもこう。

 


と言うのは、店の最寄駅から実際に店にたどり着くまで、けっこう手間取るケースがあるためである。

前日に挨拶を兼ねてかけた電話で道のりを聞いていても、また最寄駅の駅員に丁寧に教えてもらっても、行き慣れていたりそこの土地の人間でない場合、わかりにくい店はわかりにくいのだ、、、特に住宅街にある店などは。

 


入店時間が迫っているのに、見知らぬ地で

「わからない。(店は)どこにあるの?」

と内心で焦りながら目的地を探すストレスは相当のもの。正直、汗が出てくる。

あの無駄な労力。出来うることなら避けたい。

 


それを思えば、早い目に出発することなど、何と言うことはない。

 


写真は京阪本線三条駅にある、尊王思想家、高山彦九郎銅像

一見、土下座しているようだが、あの姿勢は実は御所に向かって敬礼しているのだ。

視点がずれるの感覚もずれる〜仕事や学習で行き詰まったら、ぜひこの原理を応用。

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正月が明けた。今日が初仕事という人も多いことだろう。


私自身は、コロナ前は、一足先に正月気分を抜けるべく三が日の最終日、すなわち1月3日から仕事をスタートさせるのが、通例だった。
案件は、決まって「麦とろご飯」のデモ。これは、関東地方の一部に伝わるとされる、1月3日にとろろ汁をかけた麦飯を食べてお正月料理に疲れた胃腸を労わる風習にあやかったものだ。


さて、今年の元旦の午前中、スカイバスこと屋根無し2階建てバス京都市内を一周したことは述べた。
粉雪舞う酷寒日であったにもかかわらず、2人の孫が大はしゃぎしていたことも(小さな子どもは、ワクワクするような事柄に出くわすと、往々にして気候を忘れるものだ)。


われわれ大人は、もちろん並ならぬ寒気をしっかりと感じ、震えながらの観光となったが、それでもある重要な発見があった。


それは、見慣れている風景でも、一段高いところからだとまた違ったふうに見えるということである。
視点がずれると、感覚もずれるのだ。
これは、驚きならず単純に喜びと感動も与える。


仕事でも、家庭生活でも、学習でも、何かに行き詰まった時は、ぜひこの原理を応用されたい。
思いもかけぬ斬新なアイディアが浮かんでくるかも知れない。


写真は、平安神宮の鳥居。

2022年の希望〜withコロナ

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2022年が明けた。


昨年同様、暮れから我が家にいる1番上の孫と真ん中の孫。
娘夫婦には悪いが、今後は、少なくとも大晦日と元旦は断ろうと思う。
夫の仕事場と自宅を兼ねているので大掃除はしなくていいし(つまり掃除は毎日しているわけ)、お節ももう買うようになっているけれど、煮しめやその他の普段より少し豪華な正月料理はやはり作るから、買い物や台所仕事で、年始直前の日はけっこう忙しいのだ。
そんな中で、8歳と5歳の子どもの面倒をみるのは、正直、キツいものがある。


反面、じいじばあばと慕ってくれるのも今のうちだと言うことも、よくわかっている。
孫たちも中学になれば自分たちの世界を持ち、消えゆく世代に関心を示すこともなくなることだろう。


1番上の孫の強い希望で、この元旦はスカイバス(2階立てバス)にて京都市内を一周した。
粉雪舞う中での観覧は肉体的にはそれなりに過酷だったが(孫たちは大はしゃぎ。あまり寒さを感じないのかな)、感覚的にはその過酷さを上回るものがあった。


カイバスを、八坂神社近くの祇園四条で降り、八坂神社に初詣。
驚くほどの人出で、屋台もたくさん。
そこに、2022年ならではの希望を見た。


その希望とは、withコロナ。
人に伝染する、あるいはさせる、致死の可能性もある病気だからって恐れることなく、共存すること。
あらためて考えてみれば、コロナだって、我々と同じイキモノ。人間同様、向こうだって本能で生き残りたいのよ。


コロナと、うまくやっていこう!


写真は、八坂神社にて。

フィギュア付きセットが売れない店もある。

(注)11月30日に書いた記事。

 

試食販売の仕事は確実に戻ってきている。
昨日も2つの案件を打診された。
残念ながら、どちらの日も他の派遣会社からの業務が入っていて、お受け出来なかったのだが。


ただ、70歳リタイアを前提に、大雑把ではあっても計画表も作った現在、仕事依頼をされて諸般の理由からそれにこたえることが出来なくても、以前のような
「(仕事を)逃した」
という残念感はなくなっている。
割と冷静というか、
「ま、今回はご縁がなかったのね」
と、こんな感じ。


さて!
土曜日の11月27日の担当は、某人気商品のフィギュア付きセット。
これが、まさかの大苦戦。
売上は自己目標の6割程度だった。


実はこのフィギュア。商品以上に人気があり、それ目当てにセットを買う人も珍しくない。
「商品自体にはあまり興味はないんだけれど、フィギュアはかわいいし、持っていたら人に自慢することも出来る。そのうちお宝になるかも知れないし」
と口にしてはばからないお客様もいる。


ただし、こういうタイプはほとんどがせいぜい40代まで。
土曜日の現場みたいな高年層メインの店では、フィギュアを欲しがる孫がいる場合をのぞき、
「そんなん(フィギュアのこと)いらんから、そのぶん売価を下げて欲しい」
と望むお客さんが一般的である。


まあ、わかるわなあ。
フィギュアがどんなにかわいくても、それに何かの思い入れがあるわけではない場合は不用品であり、正直、ゴミだ。


家族連れや比較的に若い年齢層のお客さんが多い店ではポンポンと売れるフィギュア付きセットも、店舗によってはこんなこともある。

旦那が作ったキムチ鍋。味よりも気持ちが嬉しい。

(注)11月27日に書いた記事。

 

仕事から帰ってきた。

 


旦那が

「こんな天候やから」

と気をつかってキムチ鍋を作ってくれていた。

大感激!

 


たまたま今日は仕事がヒマだからと言うことだったけれど、ヒマでもそんなことしてくれない旦那、沢山いるわなあ。 

 


ぶっちゃけ。旦那は私より9歳も年上の団塊の世代。理想では「革命」の名の元に男女平等を唱えながら、実生活では明確な男女区別を実践したエイジ。

 


なのに、旦那にそういう傾向がないのは、やはり中学卒業後の自活の影響だろう。

僻地の出身ゆえ高校は一人暮らしで、かつ、それにかかわる費用を捻出するため、土日祝はアルバイトをするしかなく、そのアルバイトに旦那が選んだのが、料理店の厨房。自然と、料理の腕はみがかれるし、意識も変わった。

 


旦那のキムチ鍋。

味そのものより、こちらを気遣う気持ちが美味しい。、

仕事上の回想録を書く。それがライフワーク。

(注)11月25日に書いた記事。

 

昨日の投稿でも書いたように、デモンストレーションの仕事が戻ってきている。

口上だけの推奨販売ではなく、試食なり試飲なりを伴う、本来のデモンストレーションが。

 


まあ、まだまだ元のようなわけにはいかないけれど。

 


6年後の引退までイイ仕事をしつつ、フィクション・ノンフィクション両面から、仕事上の回想録を書いていこう。

それがライフワーク。


今後の生きていく目標。