プロット(あらすじ)なき人生を歩んできたツケ

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最近、再び食後の動悸に悩まされるようになった。ひどい時には、息苦しいほど。
高血圧が関係しているのは明らかなので(降圧剤を服用しているが、副作用で下がり過ぎることがあり、あまりに低くなってもいけない。と言って薬を飲まないと血圧は上がり、こちらも一定以上の数字になるとよくない)、質問がてら病院で診察を受けたいのだけれど、コロナが蔓延している今のこの時期、どこの病院であっても行くのはためらわれる。


動悸の原因は他にも考えられる。ストレスだ。コロナによる閉塞感に加え、住まいに関する問題で悩んでいる。


実は現在の住居(借家)は、契約の関係で今年中に出て行かないといけない(大家の都合で立ち退きを請求されることもある定期借家)。
もちろん、次の住居を探してはいるものの、借りる側と貸す側との要望がなかなかマッチせず、現在ではまだ白紙の状態である。
還暦を過ぎた歳になっても住まいが定まらないのは誠に心細い限りで、重苦しい不安が絶えず脳裏に垂れ込めている。


ふと、
「これも、プロット(広義では物語のあらすじ。建物に例えたら設計図)なき人生を歩んできたツケなのか」
と、思う。
いや、思うまでもなく、高い確率でそうなのだろう。


だとしたら、せめて今後の余生のプロットは立てることで、現在かかえている課題もいくぶんは解決され、ストレスも軽減されるかも知れない。


それにしても、学校の勉強では、物語や論文のあらすじをまとめること=プロット書きは大得意だった私なのに、実生活のプロットはなぜ立てられなかったのだろう?
ここいらも、この際、究明しても良さそうだ。


写真は我が夫婦。