葬儀や法事のあり方も社会変化とともにアレンジされてよい。

(注)12月2日に書いた記事。

 

先だって行われた葬儀の四十九日の日程が決まった。


ぶっちゃけ、もっか感染者急増中の大阪においては、四十九日の意義は認めつつも、日にちをずらした方がよいのではないかという気がする。
限られたスペース内に親戚一同が集まるのは、明らかにミツになることだからだ。
世はコロナ禍。
葬儀も、そこは考慮されてよい。


コロナ禍でなくても、少子化が進み、人の行動範囲もひと頃とは比較にならないくらい広がった昨今。肝心の葬儀はともかく、それに付随する法事はもっと簡略化されてよいのではないか。


よく◯回忌というのがあるよね。
地方の旧家の本家に嫁いだ友人は、
「もう法事のたびに段取りが大変で。遠くに転勤していたり、人が休んでいる時に働く仕事に就いている親戚もいたりするから、まずは日程を決めることからして一大事」
と、嘆いていたっけ。
彼女は、
「自分たちの時には、せいぜい3回忌まででいいと、子どもたちに残しておくつもり」
とも話していたな。


「歌は世に連れ、世は歌に連れ」
のごとく、葬儀や法事のあり方も社会の変化と共にアレンジされてよいのでは?


何よりも大切なのは、仏門での形式より、故人を偲ぶ心であるはずだ。