無駄が多いということ

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2月も今日で終わり。
いくら2月が俗に言う「逃げる月」でも、今年の2月は例年より速いスピードで過ぎていったという印象を、個人的に免れない。
予定通りにこなせなかったタスクがあまりにも多いからだろう。


さて!
この2月から、「限りなく本書き」に入っているはずの我がフィクション作品。
「起承転結」で述べるなら「起」の部分は書き上げているので、昨晩、無聊ついでに読み返してみたら、多いこと多いこと!
何がって?
無駄な部分である。


「ここ、繰り返しになっているな」
「くどくて、説明的な表現になっているな」
「こういう箇所は別になくても意味は伝わる」
自分なりにそう感じたところをカットしたり直していったりしたら、あらあら、読み返す前の文量の半分になっていた。


これは、現実の生活においても同じだと思う。
意識せずとも、うんざりするほどの無駄を抱え、そのことと並行しつつ、我々は「日常」を保ち、今日を昨日へと送っていっているのだ。
経済の無駄。空間の無駄。時間の無駄。心の無駄。その他もろもろ、小さな、はっきりと表には出てこない無駄。


無駄が積もり積もると、例え難しい内容でなくても、タスクに取り組むことが苦痛になってくる。
まして、複数のタスクを同時進行など、とんでもない。


来月の目標として、まずはこの「無駄を省く」ことを最優先したい。


写真は、我が家のプランター
まあ、生きていく上では無駄も必要だし、そこから思わぬ展開があることも、植物をも含めた生き物を育てていると、よくわかるのだが。