米の宣伝販売から考える〜ブランド米が人気だが、かつて白米は誰でも食べられるものではなかった。

(注)10月9日に書いた記事。

 

米の販売にまつわる話を続ける。

 


一世を風靡したテレビドラマ「おしん」の中に、こんなシーンがあった。
大好きな祖母が危篤だと聞いたおしんは、奉公先から現在でいう「特別休暇」と米一斗をもらい、実家に帰る。祖母への見舞いの言葉もそこそこに台所に向かい、
「ばっちゃんは、まずいものばかり食ってきたから、おらが米の粥を食べさせてやるだ」
と、お粥を作り始めるのである。
炊き上がったばかりの米粥を二口か三口、口にした祖母は
「うまいのぉ。もう思い残すこと、ねえ」
と涙ながらに言い、息を引き取る。


この時、おしんは数えで9歳。満にすれば8歳か7歳。小学校1、2年生といったところ。
そんな年齢で、まず、重労働にして技術も要するかまど炊きが出来たことに素朴な驚きを感じる。


次に、お粥であっても米を食べることが可能なのはかなりの近代まで一定以上の階層にいた人だけだった事実に、複雑な感情を抱く。
現在では、かつて「高級米」とされた白米にも特徴を持つブランド米が次々と発売され、「もっちりタイプ」「やわらかタイプ」「あっさりタイプ」など、差別化が進んでいる。


いい時代だ。コロナ禍によるダメージは大きくとも、私たちは簡単な方法で美味しいご飯を炊けるし、時間が経っても温かいままの状態でいただくことが出来る。
ありがたいと感謝し、1粒1粒を味わってお腹に入れたいものだ。


なお、昔、こう発言した大臣がいたそうな。
「貧乏人は麦を食え」。


この発言の真の意図がどこにあったのかはわからない(政治家はしばしば本音を巧みに隠す)ので、そのこと自体は取り敢えず横に置いておくとして、私たちデモンストレーター側からすれば、麦ばかりか、ヒエやアワなどの雑穀も、米と同程度に「調理も販売も楽」な商品。
次回はその話をしたい。