「中世に生きる女たち」(脇田晴子著)を読んで。

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「中世に生きる女たち」(脇田晴子 著)

 

我がまち京都には古本屋が多く、それを巡るのも、まち歩きの楽しみの1つ。
今出川通に面した某古本屋の店頭で、歴史学者、脇田晴子氏によるこんな新書を見つけた。

 

前書き後書きを含めても全250ページ足らずの中で、脇田氏は、後醍醐天皇の側室で政務にも関与した阿野廉子(あのれんし)をはじめ、夫の源頼朝と共に鎌倉幕府を開いた北条政子、その鎌倉時代に著された「とはずがたり」(時の帝に愛され、やがて飽きられた宮廷での生活や出家後の旅の記録が書かれている)の著者、後深草院二条、我が子可愛さから守銭奴となった挙句に応仁の乱を引き起こしたと言われている足利義教の妻、日野富子、太閤秀吉の正妻ねね、などなど、一般にも知られる女性たちの生涯とエピソードも交えながら、婚姻が妻問婚から嫁取婚へと進む過程で「ゆっくりと地位が下がっていった」、公家、武士、庶民、尼僧など、あらゆる層の中世の女性たちの姿をえがいる。

 

興味深かったのは、妻問婚から嫁取婚に移行する過程で、尼寺が興隆していっていること。これを、著者は嫁取り婚の一般化=家父長制度の確立と関連づけている。
すなわち、本書の冒頭で平安末期の文人藤原明衡が書いた「新猿楽記」を通じて説明されているように、家父長制度のもとで男性側から女性側に期待されるのは「母性」「家政」「性愛」の3種の要素なのだが、そこからはみ出した、またははみ出しざるを得なかった女性も出てくるのが、世の常(多くは単身者で、不婚の内親王や将軍の子女を含む現在でいうおひとりさまか?)。
脇田氏は、
「こうした女性が誇りを持って生きていける場が尼寺であった」
としながらも、
「尼寺にいる尼たちがひたすら変成男子(女性はそのままでは成仏できないので生まれ変わって男性にならなければならないという説)を願っていた」
点で、いわゆる女性解放には一定の限界をともなっていたと定義づけ、
「これは、男女平等とは女性が男性並みに働くということだと、つい先頃まで信じていた現代女性に通じるものがある」
と、文中で語っている。

 

文筆家ではなく学者が書いたものなので、やや論文調の難解さはあるが(もっとも、素人向けに随分と砕いて解説しているとは感じる)、なかなかに興味深い展開で、また世界が広がった気がする。

 

なお、野菜を酒粕に漬けた奈良漬けの名前の由来は、中世の寺では酒造がおこなわれており、もちろん寺が多かった奈良でも例外ではなかったことによるというエピソードは、面白いものだったね。