懐旧の念~トマト

無性にトマトジュースが飲みたくなった。
それも絞り立てのやつ。


もちろん、トマトは、よくある水っぽいトマトであってはならない。
ギュッと身が締まっていて、真夏のギラつく陽と照りつけられた土の香りをたっぷりと含んだトマト。
残念ながら、十月に入った今、そんなトマトをみつけることは不可能に近い。


だが、なぜだろう、トマトに限らず、それがいともたやすく手に入る時にはそのことに留意もしないのに、手に入らなくなったとたん、それを懐かしみ、欲しがるのは?
ちょうど、デジタル音が当たり前の時代になると、古いとされてしまっていた昔のアナログ音が見直され、レコードがまた注目を浴びたみたいに。


トマトだって、私が子どもの頃は現在より遥かに青臭くてアクも強く、敬遠する人も少なくなかった。
「トマトは食べにくい。美味しくない」。
そういう声を受けて農家は品種改良を重ね、広く一般に受け入れられるトマトを作り出し、いつのまにかそちらが主流となったのだが、そうなったらそうなったで、人はあの独特の風味を持つ昔のトマトを懐古するようになったのだ。
匂いや味にクセがある昔のトマトが、少量ながら再び市場に出荷され始めたのは、今世紀に入ってから?


人は誰しも懐旧の念をどこかに持つ生き物だと、トマトを通してすら、感じる。