アンチワクチン派とワクチン派。多様性を認め合いたい。

(注)9月7日に書いた記事。

 

困りましたね。もう、朝から何も出来ない。

アンチワクチンは、捉えようによっては1つのイデオロギーでもあろうから、それはそれで構わないのだが、いくら家族でもそれを押し付けてはいけない。

もうストレスでストレスで、またアトピーが痒くなって血圧も上がってしまったじゃないの!

 


プラス、昨日、見せられたあのYouTubeでの動画。語り手が現役の医師である上、自信に満ちた眼差しと口調で解説されるため、一見理論的科学的な論拠に基づく説のように聞こえるが、ぶっちゃけ、ところどころ医療に素人の私でも

「ちょっと! それはないっしょ」

とわかるトンデモ発言と、それに合わせた「ご都合主義の切り取り動画」があったぞ。

具体的には指摘しないけれど。

 


検索してみたら、アンチワクチン派には「自然派の人(別称ナチュラリスト)」が少なくないんだって。

 


ははあ、、、。親戚が以前に勤めていた幼稚園にもそのタイプの保護者がいて、給食やら遊具やらに自説を出してきて困ったことがあると話していたな。

もちろん(?)、予防接種など断固拒否。

 


環境に配慮し、余計なものを省いた身体にいいものを食べ、肌にもやさしい素材の衣類をまとい、大自然の中でのびのびと生活。

そのこと自体は、とても素晴らしいライフスタイルだと感じる。

しかし、行き過ぎるとねえ、、、。

 


プラス、上の園児の親みたいに自分たちのそのやり方を他人に押し付けるような言動をとると、周囲との軋轢は免れない。

 


実は、私の2度目のワクチン接種をあくまで反対している夫も、多分にこのナチュラリストの傾向がある。

私のADHD傾向がある面で「個性」であるのと同様、ナチュラリスト傾向も「生き様」である。

ここは、多様性を認め合っていきたいものだ。

アンチ・ワクチン派の夫。悪意がないだけに苦しい。

(注)9月6日に書いた記事。

 

今日、夫にアンチ・ワクチン派のYouTube、40分もあるのを強制的に見せられた。


私は医療には素人なので医学や薬学や遺伝学などのことはわからないが、ただ、アンチワクチン派の医師が熱っぽく語るのを見ていて、遠い昔にかつての同僚に某マルチ商法を勧められた時のことを思い出した。


何だか、すごく似ているんだな、断定的なものの言い方とか、不安や恐怖をあおりつつ自説に誘導する筋の運び方とか、押し付けがましく理論的科学的なようでありながら、妄執的な説も述べる点とか。


私は私自身の責任で決めたことだから、考えを変える気はないが、あのYouTubeに影響される人もいるだろうなあ、と思ったよ。


もう毎日毎日、2度目のワクチンを反対され、反対派の記事を送り付けられ、今日はむりやり動画を見せられ、苦痛で仕方がない。


夫を責める気はない。あの人は、本当にワクチンの副作用ないし、後世への影響を心配しているのだから。
私への猛反対も、私の身体を思いやればこそ。


悪意がないだけに、余計に辛い。


ネット検索をかけたら、夫婦のどちらかがアンチワクチン派でもめているケース、多いみたいね。
いずれも、アンチワクチンになる側に悪意はない。
「家族を守るため」
とか、ホンマ、真面目なんだ。


その真面目さが、時に相手を苦しめる。


苦しい。
何も出来ない。
ちょっと動いても動悸。


繰り返すが、こちらも何がカラダに入ってくるかわからんワクチンなんか打ちたくない。
でも、夫と同じアンチワクチン派の、学者や芸術家や特殊技術家などとは違い、こちらは誰でも代わりがいる平凡な「その他大勢」で、そこから生活の糧を得ている以上、時には「長いものには巻かれろ」的な妥協も、生きていくためにはやむを得ない面があるのだ。


どうしてこれがわかってくれない?


苦しい。

1番だしをとる。たちのぼる香りに、シアワセ!

(注)9月5日に書いた記事。

 

フェイスブックで友だちになっている外国の人に

「わかめのお吸い物の作り方を教えて」

と言われた。

彼、日本食が大好きなのね。

「いつか、高野山に行きたい」

と、以前に語っていた。

 


ダイレクトメッセージで詳細に質問したところ、彼が住む町のスーパーに、粉末状のだしHondashiも醤油も料理用ではないが酒も売っているとのこと。

そして、昆布やスライスした鰹節も。

 


ならば!

ほんだしで作る出汁もいいけれど、この際だ。一から出汁をとる方法を教えてあげようではありませんか!

 


その前に、我が家でも実践と、久方ぶりに昆布と鰹節で1番だしをとった。

たちのぼる香ばしい香り。

「ああ、幸せだなあ」

と、自然に声が出た、、、このところ、私のワクチン接種をめぐって夫婦でもめていたことが一因で、料理は明らかに手抜きオンパレードだったし。

 


こういう機会を与えてくれた彼には、心より感謝している。

 


さあ、今晩、英文化したレシピを送信せにゃね!

 

眠れない夜〜飲食業界もデモンストレーション業界も今後は縮小していく。では、どうしたら生き残れるか?

(注)9月3日に書いた記事。

 

コロナワクチン第1回目を接種した昨日はカンがたかぶり、夜なかなか寝付けなかった。

 


こんな時、普段ならアルコールの力を借りるのだが、いくら何でも接種日当日に飲むのは危険過ぎる(実際には、ビール1缶、ワインをグラス一杯程度なら問題ないそうだ)。

ここは、眠れなくてもグッと我慢の子と、アルコール代わりにひたすらミネラルウォーターを流し込み、横になって目を閉じていた。

「こうしている間にも眠れるだろう」

と、期待を抱きながら。

 


結局、一睡も出来ず、朝を迎えた。

 


眠れなかったのは、不安を感じつつコロナワクチンを打ったことによる興奮のせいばかりではない。

全従業員にワクチン接種を事実上義務付けた、飲食業界の大手ワタミの会長の某インタビュー記事に、深く感じる部分があったからだ。

 


それは、

「居酒屋業界は今後は縮小する。コロナがおさまってもそうだ。恐らく、以前の7割程度になるだろう」

というもの。

 


そうだよねえ。かつて多くの企業にあったノミニケーション文化は、アルコールを飲まない若者が増えたことにより、かなり前から衰退気味になっており、会社行事としての花見や社員旅行も行わないところが増えてきた。

そこへ、コロナ禍によるリモートワーク推進。

人々の生活に酒が占める比重が減ってきたのだ。

 


そのせいか。

ワタミと同じ飲食業界にいる人の中には

「もう(コロナは)おさまらなくてもいいよ。休業要請協力金など、もらえるものをもらったら、(この仕事を)辞める」

と、ひそかに言っている人も実はかなりいるとか。

ううむ、、、。見切りをつけるいいチャンスと言うわけか。

 


もっとも、私たち宣伝販売の世界も、これと同じ現象に見舞われる可能性が極めて高い。

つまり、デジタルサイネージの登場を初めとする諸々の理由で、デモンストレーション業界も今後は縮小すると考えてよいのだ。

 


ワタミは居酒屋面以外の分野を開拓し、そちらの割合を次第に増やしていく予定だとか。

デモンストレーション業界も、生き残るためには、請け負う仕事の幅を広げていく必要があるだろう。

 


私個人に関しては、古くからの友人が良きヒントをくれ、そのヒントが長らく私が心で温めていたことと同じなので、驚くと同時に

「出来ない理由を述べるのではなく、出来る可能性を探る」

方向で検討している。

 


書くのは、フィクションばかりでなくていいし、そのフィクション自体も1つでなくていいからね。

コロナ・ワクチン接種〜ワタミが従業員のワクチン接種を実質的に義務化

(注)9月2日に書いた記事。

 

コロナワクチンを打ってきた。かかりつけ診療所で、まずは第一回目。ファイザー。 

今のところ、首筋がちょっと痛い程度で、目立った副反応はない。

 


我々デモンストレーターの間では、いつからか

「店内でデモをする際、実質的なワクチンパスポート提示を求められる日が、遅かれ早かれ来るだろう」

と囁かれるようになっていた。これは、、、うーむ、確率が低いことはないね。現に飲食業界大手のワタミがその方針を打ち出したのだ。ワタミにならう企業があらわれる可能性は大いにある(ワタミの場合、ワクチン接種はあくまで個人の意思とし、接種しない従業員は定期的に検査)。

 


飲食業にそのような動きがあれば、「不特定多数に」「時に県をまたいで移動し」「試食という名の食品を提供する」デモンストレーター界も追随することは確実。ワクチン未接種や定期的なPCR検査を受けないデモンストレーターは仕事を失うだろう。

 


大変なことになったものである。

こんな事態を招いた責任は、どこへ問えばよいのか。

 


今回のワクチン接種は、「予測された事態」への我が備えの1つでもあった。

セルフ・ネグレクトにまつわる話〜販売者が消費者に届けるのは商品だけでない。

(注)9月1日に書いた記事。

 

就眠中の熱中症で急死した知人の話を、先だって滋賀県湖西地方での仕事を終えて帰宅する途中、偶然にも車内で会った仕事仲間の1人にしたら、
「本当にお気の毒に。最近の夏は昔の夏とちゃうからね」
と返ってきた。
その上で、
「こんなこと聞いなんて本当に失礼なんやけど、その亡くなった人、まさかセルフ・ネグレクトやないやろうね?」


セルフ・ネグレクト。自己放任。ここ数年、時折り耳にする言葉に、一瞬、目を見開いた。
「えっ? あ、ああ、確かに1人暮らしだけれど、死亡推定日とされる前日には故郷のきょうだいと電話で元気に話していたと言うから、それはないかと」
「よかった」
と彼女。何でも、いま多いのだそうな、、、セルフ・ネグレクトが。
なるほど。コロナがこうまで長引いたら、不安のあまりウツ状態となり、仕事はもちろん、食べることも着ることも洗うことも、すなわち生活する上で必要なすべてのことにやる気を失う人も出てくるわなあ、、、。
いや、コロナでなくても、ほんのちょっとしたきっかけでそれは起こりうる。


彼女自身、若い時、セルフ・ネグレクトになりかかったことがあると言う。
「職場であらぬ疑いをかけられて。そのまま衝動的にやめます、ああご勝手にと言う状態に。以後、誰も信じられないから電話にも出ないし、何もする気がなくなって、アパートにこもる日が続いた。ほこりがうず高く舞い、床一面にゴミが散乱するようになってもほったらかし。そうこうしているうちにますます気が滅入って」
そんな状態から抜け出すきっかけを作ってくれたのは、化粧品の訪問セールスの女性だったと言う。


「ある日、突然に何度もベルが鳴る。いつもなら放っておくのに、その日に限ってなぜか外へ出た。〇〇化粧品のセールスレディ。全然それっぽい感じの人ではなく、押し付けがましくもなかった。でも、話したくないから、レディの質問にも答えず、早々にサンプルだけ受け取ってドアを閉めた」
早い話が門前払いである。


セールスレディはそれからちょくちょく訪問。応対に出てはサンプルだけ受け取り、ほうほうのていで追い返す。
「応対するのは、サンプルが欲しかったから。女って、不思議やね。髪ボサボサで肌カサカサになっていても、やっぱコスメに関心あんねん。で、そういうサンプルをもらっていたら、気持ちも変わってくるよ」


プラス、レディの一言が身に染みた。
「いろいろありますよねえ。ただ、落ち込んでいる時こそ、髪や肌の手入れをして下さいね。それは、心も含めて自分を大切にすることでもありますからね」


ああ、わかるわかる。
気持ちが沈んでいる時でも、美容院に行ってヘアがすっきりしたり、化粧品店のお姉さんにきれいにメイクしてもらって垢抜けた姿を鏡に見ると、嬉しくなるもんねえ。


次第に彼女は自分自身を客観視できるようになり、定期的に訪問を繰り返すレディにも心を開き、セルフネグレクト状態を脱することが出来た。
レディの方はあくまで化粧品の販売で彼女のもとを訪れていたのだが、結果的に彼女のメンタルを救ったわけだ。


販売者が消費者の元に届けるのは商品だけではない。

ワクチン接種日が近づいてきた〜暗黙のワクチンパスポートが実質義務化?

(注)8月31日に書いた記事。

 

ワクチン接種日が近づいてきた。


夫は相変わらず反対で、やはり同意見の患者さんたちと、ワクチンの弊害情報をラインで交換し合い、私に見せてくる。


ワクチンを打っても感染している人はいるから、ワクチンは決定打ではない。
ただ、県外をまたいで不特定多数の人と接し、かつ基本的には食品を扱う仕事であることを考えたのと、それゆえ今後は実質的なワクチンパスポートの提示が要求されるであろうことを予測した上で、接種を決意した。


もちろん、ワクチンパスポートは違法。でも、私企業に抜け道はたくさんある。今後、法律に抵当しない方法で実質的な義務化をするところは出てくると思う。


そうなった時はワクチン未接種なら仕事を失う。仕事がなくなったら生活出来ない。私たちは非正規雇用の上、労災も適用されないケースすら珍しくない特殊な業界、つまり、法律が守ってくれない世界にいる。
仕事を干されても何の保証もない。


40代、せいぜい50代ならまだ何とか他の仕事が見つかるだろうが、還暦を過ぎたら難しい。
「年齢なんか関係ない。仕事を選ぶから仕事が見つからないんだ」
と言う人もいるけれど、それは第三者の立場からの発言。


結局、どちらのリスクを選ぶか、なのだ。


繰り返す。夫の患者さんたちは特殊な能力や技術を持つ職業の人が多い。誰でも出来るわけではないから、ある程度の信念を通しても失職には結びつかないどころか、その「信念を通す」姿勢が、時に売り物になったりする。


ところが、妻である私は、商売という超世俗的な世界で生活の糧を得ている。
妥協することも、状況によっては必要で、それが生きる術になる場合もあるのだ。