(注)12月6日に書いた記事。
大阪での3日間の仕事の2日目。昼食後のお手洗いの際、ふと鏡で自分の顔を見て慄然。顔の筋肉、具体的には瞼にたるみが生じ、ちりめんジワの兆候が!
ああ! 老いによる変化は、ウェスト付近の贅肉など、身体面に現れているだけではないのだわ。
まあ、こんな世だから、瞼のたるみをとるジェル(クリーム)とか透明テープとか、相応の対応グッズは販売されているけれど、しょせんは付け焼き刃でしかない。
ここで思い出すのは、かつて何かの記事で読んだ
「美しさとは、究極のところ、自信である」
という下り。
この言葉、納得できる。誰に何と言われようと、自分が自分のことを美しいと真から信じ、そう振る舞っていれば、その人は美しいのである。
作家、岡本かの子の評伝を読んで以来、この考えはますます強まった。
岡本かの子以外にも、在命中なので敢えて名はあげないが(多分、日本人のほとんどは知っている)、さる業界の超大物と結ばれた某女史のケースも似たようなもの。
彼女もまた、世間一般には、個性派と表されることはあっても美人と言われることはまずないタイプ。
それでも、彼女は堂々と公表している。
「彼が私を好きになったのは、まずは私のルックスに対してなのよ」。
そう、彼女は確信しているのである。
「私は美しい」
と。
その限りにおいて、彼女は間違いなく美しいのだ。
「美しさとは自身である」。
還暦を過ぎた女性にこれを適用するとしたら、自分の人生に対して自信を持つということか。
自分の人生。それは、これまで歩んできた軌跡のみならず、今後も歩んでいくであろう日々も含まれている。
ピーンと張り詰めた肌の美しさはもはや望めないとしても、シワに刻まれた、単なる造形美では醸し出されない美しさ。
そんな美しさを目指したい。
写真は1番下の孫。