想像力の欠如が生み出したもの。

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いよいよ明日から6日連続で仕事。昨日の記事にも書いたように、この仕事を終えた後は当面どうしてもやっておきたいことに専念したいので、取り敢えずは最後の仕事のつもりで、「真面目に」「誠意を尽くして」「感謝しながら」一つ一つの業務をこなしていこう。


自分なりにそうやって、それでもダメだったら、その時はその時だ。
その仕事と自分が合わなかっただけ。
決して
「私は能力がない人間だ」
と、卑屈になることはない。
63年間、パッとはしなくても、とにかく仕事をして、稼いで、生きてきたわけだから。


ここのところね、まだまだ若い人にはピンとこない人もいるみたいで、お客さんや我々外部の人間の前でも、高齢の従業員にキツい物言いをしているケース、今年でデモンストレーター歴18年目の私は、ちょくちょく見てきた。
いや、キツい物言いだけなら、仕事に関する事柄だからまだ許せる。
感じが悪いのは、その人が歩んできた軌跡や人格を否定するような言葉を口にすることだ。


「(こんな簡単なことも出来ないなんて)オタク、今までどんな仕事をしてきたの? よくクビにならなかったね」
「ウチだから、オタクを使ってあげているんだよ」
「オタクみたいなのを老害と言うの。仕事は遅いし、人の手を煩わせて引っ掻き回して」


これってねえ、、、。
仮に真実だったとしても、相手はアンタの親かもしかすると祖父母の年齢の人だよ。
皆、それなりの生活歴を持ち、その中で必ずや色々学んできている。
確かにデジタルには疎いし、動きも若い人から見ると鈍いかも知れない。
でも、それらだけで人を断罪するなんて、傲岸不遜の極みだと思う。


このような人に必要なのは、想像力。
想像力からは共感力も生まれる。
共感力は互いに共鳴し合い、困難を打破する力ともなりうる。


残念ながら、この想像力に乏しいタイプは、今、増えていると思う。


写真は、スポーツの神様もいる、京都の白峯神宮にて。