悲しみや苦しみは当事者になってわかる〜その人の気持ちに寄り添うこと。

(注)11月12日に書いた記事。

 

50代の終わり頃より、くしゃみやセキをすると、その反動で尿漏れをするようになった私。


ある時、ひどい風邪をひき、絶え間なくくしゃみとセキが出、トイレに間に合わなくなり、そこにいたるまでの廊下に漏らしてしまったことがあった、、、山科(京都市東部)に住んでいた頃だから、7年か8年前か。


きれい好きの夫は激怒。
面と向かって、人格を誹謗するような言葉を発した(ただ、夫の偉いところは、そうやって怒りながらも後始末はきちんとしてくれたこと。私は発熱もしていたので)。


時が経ち、大腸がんを患い、自らの意思なく頻繁に便漏れするようになった夫。


「こんな身になり、あの時の、漏らしたくないのに(尿を)漏らしてしまうお前の悲しみが初めてわかった。キツいこと言って、ごめんな」。


こんなもんだ、人間は。
病に限らず、災害でも事故でも夫婦間や親子間などの家庭問題でも政治的な諸々でも介護でも、その当事者になってこそ、初めてその悲しみ苦しみがわかる。


だとしたら、我々にせめてもの出来ることは、ただ一つではなかろうか。
「その人の気持ちに寄り添う」。


それは、もしかして、こういうこと?


「私はあなたではありません。だから、あなたが現在受けている悲しみや苦しみは、あなたが感じているようには、つまり、本当にはわからないでしょう。
でも、私はあなたと一緒にいますよ。
いつでも、どこでも、あなたを気にかけていますよ。
あなたの幸せを、心より、祈っていますよ」。