昨日の記事で、コロナ禍により夫婦ともども収入が激減し、国民1人あたり10万円の一律給付を待つまで家計が持ちそうにないので、市が提供する緊急小口融資制度を利用しようとしたら、同居している60代の姑が、
「役場で申請しているところを近所の人に見られたら恥ずかしいから」
と、反対した旨を書いた。
さらに、日本の高年層にはかなりの確率で
「オカミをはじめ、人に頼るのはいけないこと」
ととらえる人がいると教えてくれた、福祉の専門職についている知人の話も。
ここで思い出すのは、亡母にゆかりのあった、ある女性の実話である。
この女性。地方の名家に嫁いで以来、厳しい姑とその姑に頭が上がらない夫に、自分を押し殺して仕えてきた。
時は流れ、姑は認知症に。その症状は筆舌に尽くしがたいものだったそうで、一つだけ例をあげれば、こんなことも頻繁にあったと言う。
便失禁を重ねるようになり、そのイチモツを鬢付け油(髪に塗る油)」だと本気で思い、櫛で髪に撫でつけ、うっとりしていた。
そんな姑の世話をしていた女性の身体的精神的苦痛は、想像を絶する。
なのに、夫や息子は、
「こんなのが外にわかったら、うちの恥」
と、女性に耐えるよう、時に強要し、時に哀願したとか。
姑を送ってしばらくの間、女性は
「週に一度は白身の魚が食べられる。嬉しいな。おばあちゃん(姑)がいた頃は、嫁はせいぜい青味の魚しか食べてはいけないと言われ、夫もそれに賛成していたので、、、」
と、やけにはしゃいでいたそうな。
悲しいかな。
女性のはしゃぎは続かなかった。
女性をいびり抜いた姑が逝って半年後、女性は突然に倒れ、そのまま逝ったからである。
この女性。実は、私も亡母を通じて幾度かお会いしているのだけれど、細やかな心遣いをする、優しく上品な婦人で、教養と共に裁縫などの実務的な能力も備えた、大変な働き者であった。
夫や息子は、なぜ女性の労苦をおもんばかって福祉に助けを求めなかったのだろう?
我が家は名家であるという見栄?
他人に助けを求めるのはよくないという謙虚?
どうも私にはわからない。
人間にはキャパシティがある。
運命という名の試練がそれを超えた時は、社会の最低の掟に従ってコツコツと常識の範囲内で生きてきた人間には、手を差し伸べてもらってよいのではないかね?
写真は、1番上の孫に書いた我がハガキ。