小説「ノーラ・ウェブスター」

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(注)10月30日に書いた記事。

 

「ノーラ・ウェブスター」(コルム・トビーン 作、栩木伸明 訳)。


アイルランドの作家コルム・トビーン(映画「ブルックリン」の原作者)が、自分の母親をモデルに、一説では12年の歳月を費やして書き上げた長編小説。


特に事件らしい事件も起こらず、しかも意地悪な人は登場しても極度の悪人や変人は出てこないという、一歩間違えばとてつもなく退屈なストーリーになってしまうのに、多少の冗長さを感じつつも読者にページをめくらせてしまう。
これは、もう基礎的な「文章力(=描写力)」が秀悦であることの証明で、その側面から読んでみるのも面白いのではないかな。


(あらすじ)
良くも悪くも親族や隣近所がプライバシーに干渉してくる「お節介」な生活様式が一般的だった、1960年代のアイルランドの地方都市に住む、未亡人になったばかりの主婦ノーラ。就職した職場での人間関係をめぐるイザコザ処理や子どもの学校での不当な扱いへの対応を通じ、それまでの「夫あっての自分」ではない「自分あっての自分」に目覚め、さらには音楽を介して母親との関係をはじめとする過去をも問い直したことで、「自分あっての自分+他者との関係性も含めたこれからの自分」を得ていく、、、。


主人公の精神的な自立に至る過程が、主人公の日常生活を描写する中で非常に丁寧にえがかれており、この点は、小説の1スタイルとして評価されるべきだと、個人的に強く感じた。
なぜなら、性別年齢、国籍を問わず、大半の人の人生は「ありきたりな日」の積み重ねで、小説をも含む文芸作品が基本的には「人間が生きること」、すなわち人生を書くものならば、その平凡な日々を細密に描写する技法はもっと認められてよいのではないかと思うからだ。


最後に、もし私が映画監督でこの作品を画像化するとしたならどう演出するか、遊び心で想像してみた。
恐らく、主人公のノーラに、要所要所でコショウの一振り程度の「ぶっ飛んだ」要素を加えて撮るのではないかな。それが率直なところ。
つまり、ノーラは、ある人に
「あなたは品性がある」
と評される下りでうかがえるように、ある面では「優等生過ぎ」て、物語のヒロインとしてはいささか面白みに欠けるのだ。


そのことを承知しつつ、ネットの普及によって増えている、商業文的な文体と展開の「読みやすい」、しかし読後の余韻は乏しい作品も悪くないけれど、たまには、心底にズシリと響き渡る重厚な一冊に、まったりした空間で触れるのもよいのではないかしら。


ちなみに、私にこの小説をご紹介下さったのは、大学で文学を講義しておられる知人の1人。
新たな扉を開くきっかけを作って下さり、とても感謝しています。