I日中、寝ていた。

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(注)7月3日に書いた記事。

 

昨日は1日中寝ていた。

本当に、朝から晩まで、トイレと食事と風呂以外は、寝ていた。

頭に鍋を被っているような感覚に悩まされ続け、考えがまとまらない。

ずっと、うつらうつら。

 

 

 

一昨日の雨の日の現場への距離の遠さと、デモ場所の寒気の強さも関係あったのだろうか。

 


もっとも、片道1時間40分以上かかる現場など、今までの体験では身体にコタえるはずはないんだが?

寒さ対策も、春夏物カーディガンと冬用ベストでばっちりだったはず。

 


それでも、身体がコチコチになっているのを、昨日ははっきりと感じた。

 


もうあまり遠方には行けないし、2日以上の連続仕事も出来ないのかも知らない。

 


写真は、2年前の今日、大阪と和歌山のほぼ県境にある町、熊取で仕事をした時に撮ったもの。

大阪からは紀州路快速一本で行けるため、実際の距離ほどには「遠さ」を感じないのだけれど。

 

人間にとって、時間が過ぎるだけの労働は?

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(注)7月1日に書いた記事。

 

今日は大阪市南部にある某店で仕事。歩く距離も入れたら、1時間40分強かかる現場だ。


もっとも、交通の弁は至極いい。列車間の連絡はスムーズ。
業務自体も難しいものではない。


なのに、ああ、疲れた。


雨天だったことと関係あるのか、お客様の来店状況にメリハリがなく、一日中ダラダラという感じで、こんな日は、身体は楽なはずのに、なぜか忙しくしている日の倍かそれ以上も疲労を感じてしまうのよねえ。
人間にとって、ダラダラ、すなわち時間が過ぎるだけの労働がどんなに英気を削ぎ、ゆえに無駄な労力を使わせているか、これだけでもわかる。


まあ、無事に終わってよかったですよ。
明日のオフ日はゆっくり休もう。


写真は、最近の現場で買って来た苔玉

豆腐ハンバーグ

(注)6月30日に書いた記事。

 

2日連続勤務の初日が終わった。

明日は大阪南部に行く。

 


ところで、この前から豆腐バーグ(豆腐のハンバーグ)にはまっているのだけれど、どうもうまく出来ない。

 


何がって?

成形ですよ。

 


味はいいのに、残念だな。

 


豆腐の水切りにレンジを活用したり、つなぎの小麦粉を増やしたり、「実験」を繰り返したものの、ダメ。

 


レンジを活用しても、まだ生地に緩さが残るし、小麦粉を増やせば、

「外はこんがり焼けても中はパサパサ」

になってしまう。

 


どうして?

こねるのが足りない?

 


ネット検索をかければ、けっこう同じことで悩んでいる人、多いみたい。

悩みは、やはり、圧倒的に「成形の難しさ」だ。

きれいに形をまとめることが出来ても、焼いている途中に、豆腐に残っている水気が滲み出てきて、結果、形が崩れてきた。

こういうケース、多いんだな。

 


まあ、異形は異形だわなあ、、、豆腐のハンバーグって。

それに、プロがやっていても、豆腐バーグの動画をみてごらん。

どんな動画も、ある種の「無理感」がある。

やはり、異形なんだ。

 


あと、2回ほど「実験」して、どうしてもダメなら、このレシピ、降りよう。

美味しくても、カタチが不細工なら問題。

料理は目で味わう面もあるし。

 


第一、何度トライしてもうまくいかなければ、そのレシピを料理すること自体がストレスになる。

ストレスを感じながら作ったものなんか、美味しくない。

 


別に豆腐のハンバーグがうまく作れなくても、他にうまく作れるレシピはあるのだから。

プラス、私はプロの料理人ではない。

 


そもそも、

「あなた、下の血圧がこんなに高かったら、明日にでも何が起こってもおかしくないですよ」

と言われた人間。

 


もう本当にやりたいことだけやって、ゆったりと生きたいのだ。

痛みなしに治癒できるのなら、それにこしたことはない。

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(注)6月29日に書いた記事。

 

先だって整形外科で受診した診療所の内科病棟にいる。
血圧の治療、再開。
嫌だな。また、尿検査とか採血とか、あるんだろうか。


特に採血。我が細い血管に一回で注射針が入ることは珍しく、たいていは3回ほど失敗された挙句に看護師の上司クラスの人を呼んできて、やっと入る。つまり、4回痛い思いをするわけ。


コクれば、私があまり病院に行かないのは、実はここいらにも理由の一つがあるんだな。
痛いのはゴメンだもの。


とは言え、治療する側もされる側も、昔に比べると「痛み」に対する認識は大きく変わったと感じる。
少なくとも、私が子どもの頃は
「治療は痛さを伴うもの。だから(痛くても)がまんせい」
とされている面が多分にあり、それがために歯医者や中耳炎の治療体験が大人になってもトラウマになっている人、けっこういる。


痛みって、単純にストレスだよね。
ストレスを受けると身体にも影響を及ぼす。
可能なら、なるべく痛みなしで治癒出来るものなら、それに越したことはない。


写真は、干したドクダミの葉。ドクダミはジュウヤクとも呼ばれるほど、胃腸障害をはじめ、幅広い面に効能が期待され、妊娠中はよく煎じて飲んだっけ。
「えっ、あの独特の匂いがある、あの葉をお茶に?」
とおっしゃるあなた。レモンを加えると、とても美味しくなるんだよ。
プラス、慣れたら、あのいかにも薬茶っぽい濃さは、あれはあれで、なかなか魅力的なものなのだ。

加齢で医療費がアップ?

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(注)6月27日に書いた記事。

 

連続仕事が終わった。
2日休んだあと、また2日連続で推奨販売の仕事が入っている。


その後は今のところは予定がないので、個人事業主向け月次支援金の申請を済ませようか。


月に最低15日は現場に立っていた一昨年までに比べると収入減は否めないし、そのぶん自分なりに節約もしているのだが、さて、それで出費も減っているかと思いきや、そうでもない。


むしろ、医療費とその関連は、一昨年に比べると大幅に増加している。
先だっての怪我による入院はおりてきた保険金で賄えたものの、それ以外の眼科や内科の検査費や治療費、薬代などがかかっているのだ。


デンタル面も、以前は単に歯磨き粉だけだったのが、歯茎が心持ち痩せてきたのと年齢的に歯周病対策をしなければとの思いが重なり、歯磨きをすませた上で、歯間ブラシとデンタルリンスを必ず使用するようになった。
当然、費用もアップ。


まあ、今までが少な過ぎたんだけれどね、、、医療費が。
不摂生しているのに、神の恵みで、治療しなければならない大きな病気にも怪我にも見舞われなかった。
ラッキーの一言だったんだね。


これが加齢というものか。
人間でなくても、ペット(2匹の犬と猫1匹)たちも、シニア世代に足を踏み入れると、泌尿器や婦人科系の病気、なかなか治らない怪我で病院に行くことが格段に増えた。


生き物は老いていく。
老いて、朽ちていく。


そうなる前に、やっておかねばならないこと、やっておきたいこと、あらためて考え直している。


写真は、夜の安倍晴明神社。
我が家の、極めて近くにある。

我が関心は「物」より「人」にある。

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今日と明日、京都府奈良県の県境にある大型店舗で仕事。
ここ数日の間、悩まされていた軽度の胃痛はおさまった。
イイ気分。


登録派遣会社の1つから、工場派遣の仕事を打診された。
うーん?
学生時代、印刷工場でアルバイトをした私は、あの種の仕事が、少なくとも向いてはいないことを、身に染みて知っている。


注意力散漫にして、飽きっぽい私(診断されたわけではないが、以前に記事にした通り、多分にADHD傾向がある)。
サイレンの音と共に、一言も喋らず黙々と繰り返し作業を始め、やはりサイレンの音と共に中止する工場業務はものすごく苦痛で、3日しか持たなかった。


とは言え、やはり注意力必須のレジの仕事はとても面白く、出勤するのが楽しくて仕方がなかったから、そんなに向いていないこともないのかな?


いえいえ。
レジの場合は、レジ作業ではなく、人との接触が好きだったのだ。
老若男女、職業も家庭環境もおのおの異なる人がレジを通るからね。趣味でもあるマンウォッチングには持ってこいだった。


つまり、私の場合、繰り返し作業でも、どこかに「人」との接点があれば、そんなに苦痛ではなくなるのだろう。
工場業務も、そのような要素があれば、面白く感じるのかな?


ともあれ、私の関心が「物」より「人」にあることだけは間違いない。


写真は、今日の現場近くで写したもの。
空の色からして、明日は雨?

アルコール。なかったらなかったで、それなりに生活はまわっていく。

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昨日から軽い胃痛が続いている。酒を抜いてもおさまらない。
何、これ?


もっとも、痛みのレベルは、日常生活にほとんど差し支えがないほどのもの。それでも不快なことには変わりなく、明日からの仕事に備え、対策を講じておこう。
健康体で仕事現場に立つこと。
これは、働く上での基本中の基本だ。


もちろん、今夜もノンアル。


入院していて、気づいたことがある。
それは
「私は酒なしでも大丈夫なのだ」
ということ。
確かに物足りなさは感じたが、それだけのこと。その物足りなさとて、さほど強烈なものではなかった。時間がくればちゃんと眠れたし。


は。酒がないならないで、それなりに生活はまわっていくのだ。
なるほど。酒は、だから、嗜好品の部類に入るのね。


こんな現象。実は、酒以外にも、私たちの日常の中に転がっているのではないか。
ほぼ習慣化し、それが原因で特に考えることもなく続けているけれど、なかったらなかったでどうということはない、あるいは他で代替出来る、例えば行動の様式やクセ、あるいは出費の傾向。


これを自覚出来たら、もっとメリハリがきいた毎日が送れるかも知れない。


写真は、アルコール抜きの昨夜、一晩で読んだ本。
文章がわかりやすく易しい言葉で書かれている上、ユーモラスかつ的確な表現もあって、なかなか示唆に富んだ一冊だった。