(注)5月28日に書いた記事。
今日も舞鶴で仕事。
行きは、かの城崎温泉が終点の特急「きのさき」にてまずは綾部まで。
そこから東舞鶴行きの普通列車に乗り換えるのだが、窓枠を流れる風景がまるで30年ほどバックしたかのような錯覚に囚われ、ある種の感慨にひたってしまう。
この感慨については、我が原風景とも関連してくるので、熟考のうえ別記事で詳しく紹介したい。
ともあれ、今日は帰ってきた。
明日もまた行く。
写真は京都タワー。
(注)5月27日に書いた記事。
当時小学3年生だった私に強い印象と深い感銘を与え、カエル・ラバーとなるきっかけを作ってくれた、教育雑誌「小学3年生の科学1965年5月号」(学研)に掲載された、トノサマガエルを主人公にした童話は、こんな内容だった。
(なにぶんにも57年前に読んだので、細かいところで記憶違いがある可能性あり。そこはご容赦を。大意は合っていると確信)。
出だしは、
"畑のまん中で、トノサマガエルがじまんしました。
「ケロケロ。わしよりえらいカエルはおらんじゃろ」"
(もしかすると「わしのほかにカエルはおらんじゃろ」だったかも)。
そこへ、ちょうど飛んできたスズメ(またはツバメだったか)がそれを聞き、
「世のなか、いろんなカエルがいるよ。見てきてごらん」
と、トノサマガエルに言う。
トノサマガエルは、旅に出ることにした。
スズメが言ったことは本当だった。アマガエル、ヒキガエル、ツチガエル、、、などなど、行く先々で多種多様なカエルにトノサマガエルは会い、その過程でウシガエルの大きさに驚いたり、カジカガエルの声の美しさに感心したり。どのカエルも独自の個性を持ち、おのおの懸命に生きていることを知る。
カエルはわしだけではないし、わしよりえらいカエルもいない。世の中は広い。
この単純ながら大切なことを胸に刻んだトノサマガエルは、生まれ変わった気持ちで帰路につくのだった。
このストーリー。人間社会にも通用しないか。
「井の中のかわず」とは、よく出来た言葉である
(注)5月26日に書いた記事。
整理してみた。
なぜ、重篤な病(大腸癌)を患った夫の治療食に付き合えばストレスがたまるのか?
もともと、野菜と豆中心で、動物性蛋白質は主に卵と乳製品で撮る、ネオベジタリアンの私なのに。
原因は、わかっている。
糖分。
夫の病による治療食では、糖分厳禁。砂糖どころか、その代替品である蜂蜜はおろか、果物に含まれる果糖や味醂もダメという徹底ぶり。
この療法で、切り干し大根や若竹煮や金平牛蒡はうまくいったが、糖分の優しさが活きる、例えば、めんつゆや昆布佃煮や煮豆などはねえ、、、。
多大の時間を費やした「実験」の結果、麹をうまく使えば、、、に到達し、ルンルンのはずなのだけれど、、、うーん???
なお。糖分は麹のみで作った甘酒を代用。
あれこれ、実験中。
(注)5月26日に書いた記事。
カエル大好き人間の私にとって、田植えから梅雨にかけては、一年で最も楽しい時期になる。だって、いろいろなカエルさんに会えるんだもん、、、哲学者然としたアマガエル、ずる賢そうなヒキガエル、愚直ゆえに生命力逞しいツチガエル、、、などなど。
おっと、エラそうにしているトノサマガエルを忘れちゃいけない、と思ったところで気付いた、、、皆さん、トノサマガエルって、ここ数年、いやもっと前々から見かけないよね、、、以前は、京都市山科区の田園地域に住んでいて、周りには田畑が豊富にあったんだが、ついぞトノサマガエルに会わなかった。
絶滅した? いや、そんなことはないでしょう。
このトノサマガエルを主人公にした童話が、「3年生の科学1965年度版6月号」(学研)に掲載されていて、読後57年経った今なお、出だしとあらすじをなぞらえることが出来る。それほど面白い話だったのだ。
"畑のまん中で、トノサマガエルがじまんしました。
「ケロケロ、わしよりえらいカエルはおらんじゃろ」"
この書き出しから始まる、トノサマガエルの諸国漫遊の記。カエルのみならず人間社会を生き抜く上でもなかなか含蓄に富んだ内容だった。
近々、紹介したい。
写真は、トノサマガエルの無料イラスト(カエルが苦手な方、ごめんなさい)。
(注)5月25日に書いた記事。
本当は、大好きな酒も断ち、癌と闘っている夫を励まさないといけないのだろう。
なのに、それが出来ない私は、堪え性のない、自己中な悪妻なのだろう。
夫の体調には波がある。
先週の水曜日は、全身の倦怠感が半端ではなく、階段も1人で登れないほど。夫の背中を押しながら、涙が出てきた。
それが、土日で持ち直し、昨日など絶好調。
このままいくかと思ったら、今日は一転。朝から何度も下痢があり、ガン告知後の2ヶ月で体重が7キロも落ちたこともあって、脱水の疲れですぐに横になる。
もっとも、痩せたのは、ガンのせいばかりではない。
玄米と野菜を中心とし、糖分一切ノー(味醂や果物の糖ですらダメなのだから、その厳格さがわかっていただけるかと思う)の食生活にもよる。
その治療食を作る妻の私も、主に経済的な理由からそれに合わす。
これ、メニューによっては、ものすごくストレスが溜まるのね(ここいらも、夫に合わさない悪妻?)。
これまでの記事で明かしたように、私は、子ども時代から胃腸が丈夫ではない関係で、食事はずっと野菜と豆中心。動物性蛋白質は主に卵と乳製品から摂り、そのことにさして苦痛を感じたこともない人間だった。
そんな私でも、「糖分一切ノー」には、例えばめんつゆとか昆布佃煮とかには、強い拒否反応があり、特に規定通りに出汁(昆布と椎茸)と醤油だけで味付けしたつゆで作ったうどんを食べた時には
「これから先、こんな不味いうどんやそばを食べ続けるのか」
と想うと、鬱々とした気分に襲われた。
今日もそうだ。
ガンが治る食事法のレシピで作った煮豆。
醤油味がまさってまさって、亡母が作ってくれていた砂糖味が強いけれど優しい味の煮豆に郷愁を感じている私には、塩辛くて仕方がない。
こういうの、食べるの、私も?
レシピでは、出汁を効かせ、大豆本来の甘味を活かすとあるが、ダメなのよ。
私は、糖分の味がする煮豆が好きなの!
そういうのを食べたいの!
家族の治療食によるストレス。
感じたことがある人はいますか?
昨日はI日中、京都御苑の森の中で「源氏物語」を読んでいて、あらためて感じた。
「紫式部がこのオハナシを書いていた時、章が完成するたびに宮廷の女性が競うように読み、続編を楽しみにしていた、というのもわかる」
と。
まず、源氏は帝(天皇)の子。日本一の旧家の出身だ。しかも、周りに「光る君」と呼ばれたほどの超絶イケメン。文武両道はもちろん、音楽などの諸芸にも秀でている。
性格もよいのだろう、宮仕え中の、プライドが高い割に中身は浅薄で腹黒いおばさまたちにも可愛がられるくらいだから(醜女とされる末摘花に対する紳士的な態度からもそのことはうかがえる)。
そんな「完璧な男性」である源氏が、時に、仲間たちと女性論議に花を咲かせたり、いくら恋文を送っても意のままにならない女性を想って
「恋とは辛いものだ。生きているのも嫌になった」
と、青臭く(?)嘆いたりするのである。
恋に恋する年頃の女の子のハートをとらえないはずがない。つまり、彼女たちの共感を呼び起こす存在なのね、源氏は。
この構図。実は、新しいビジネスを考えたり、商品開発や販売促進にも応用出来るよ。
いや、プロデューサーが映画を企画したり、役者の役作り、さらにライターが脚本を書く際にも、大いに参考になる。
古典は永遠だ。
いつの時代にも通じるものを、確かに持っている。
写真はテレビドラマ「源氏物語」から(YouTube)。源氏を演じているのは、当時まばゆいばかりの美しさを誇っていた、ジュリーこと沢田研二。
(注)5月24日に書いた記事。
朝から京都御苑内の森の中にいる。
静かだ。耳に入るのは、小鳥たちのさえずりと木々のざわめき。時折り、烏どもの鳴き声による応酬。
雑草はびこる地には、名もなき可憐な山野草がぽつんぽつん。その周りを蝶が飛び交い、蟻は行列を作って進み、無数の虫たちが散歩。
のどかだ。
先月からぼちぼちと読み進めている「原作物語」(原文と瀬戸内寂聴氏による現代語訳)を、予想外のスピードで読み進むことが出来た。
ふと顔を上げたところで目に入った、この大木。
樹齢は幾つか?
時を経て滅びるものや変わるものは多いが、反対に、時を経たぶん重厚感を増して一段とその存在を浮かびあがらせるものも、決して少なくはない。