確定申告を済ませた後

確定申告を済ませた後に感じる、あの独特の解放感と高揚感といったらない。
「終わった。終わったよ! まだ陽は明るいけれど、さあ、乾杯しようや」
と、毎年、愛用酒器にいいちこ(これしか飲めない)とレモン水をたっぷりと入れ、好きな音楽をバックに昼酒としゃれ込む。
ああ幸せだなあと、酒を流し込む喉を震わせながら、心より思う。

 

これは、きっと、苦手なことを終えた後だからこそ味わえる感覚なのね。
代金支払い書や領収書などをめくり、計算し、所定書類(企業でいうなら借貸対照表と損益計算書にあたいするのか)に書き込み続けていると、目がチカチカしてくる。
当然ながら
「じゃまくさい(面倒くさい)なあ」
「やりたくないなあ」
となり、そのうち、数字の「2」がアヒルの首に、「3」が耳たぶに、「8」が雪だるまに見えてきたりする。
結局は私、事務は、工場のライン作業ほどではないけれど(あれは出来ない。絶対に出来ない。学生時代に印刷工場でアルバイトをして身にしみた)、苦手な部類に入るのだろうな。

 

もっとも、大得意な人もいて、経理OLのベテランである友人の子どもさんは、親戚の店の会計面を年に何度か整理してあげ、もちろん確定申告書作成もヘルプ(ちなみに副業可の会社に勤めている)。
店の経営者である親戚からは
「帳簿をつけたりするの、じゃまくそうてかなんワ。でも、税理士に頼むと高くつくし、そもそも税理士を頼むほどの商売でもない。〇〇ちゃん(友人の子どもさんの名)がやってくれて、ホンマありがたい」
と感謝され、相応の報酬ももらっている。

 

特技と職業キャリアをいかした副業。いいね。

 

黒眼鏡の試食魔

デモンストレーターになって2年目、すなわち「駆け出し」と呼ばれていた頃、主に大阪中部から北部のスーパーやデパートで広く見かけた、黒眼鏡の試食魔がいた。

 

デモを実施していると、黒眼鏡をかけ、カートにヘルメットを乗せた30代から40代の中肉中背の男がいつのまにかスウッと寄ってきて、半端ない量の試食品をただガツガツと食べていくのだ。

 

「少しココロをやられている。刺激せん方がエエよ」
と店の人。なんでも、毎朝バイクで「出勤」し、行動可能な範囲内にあるスーパーやデパートの試食をすることを「仕事」としている人物なのだと言う。

 

それでも、某大手メーカーの専属デモンストレーターだった同業のおばちゃん(当時50代後半か、せいぜい60代前半)が、ある時、男に尋ねた。
「あんた、トシ、幾つや?」
「42」
食べながらボソリと答えた彼を
「まだ若いがな! こんなことするトシかいな!」
と、おばちゃんは一喝。説教モードに転じた。
「ちゃんと仕事をし! 42やったら幾らでも(仕事は)ある」。

 

あれから20年経った現在、あらためて感じるのだ。
試食魔と販売員との、こういうやり取りは大阪ならでは、だとね。

 

ちなみに、くだんの男は、そのおばちゃんに説教された後も数年間は相変わらずの試食魔として見かけたが、やがて姿が消えてしまった。
亡くなったのか? いや、おばちゃんの説教に従って「ちゃんとした」仕事に就いたのか?

「洞窟オジさん」(加村一馬 著)を読んで。

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「こんな人生もあるのだ」。


名前は忘れたけれど、某映画評論家が1973年公開の映画「パピヨン」のレビュー冒頭に書いた言葉。
これを、そのまま、この本の冒頭に私的に捧げたい。


終戦翌年の1946年8月末期に群馬県に生まれた、著者、加村一馬氏。
都市、田舎を問わず、その日その日を生き延びることが精一杯だったあの時代、加村氏は頻繁に親、特に父親の虐待に見舞われた。
毎食が「茶碗一杯の雑穀飯のみ」によるひもじさに耐えかね、きょうだいも含める他の家族の食べ物に手を出しただけで、今なら警察沙汰になるであろうほどの「お仕置き」を受けたのだ。


「このままでは(親に)殺される」。
危機を感じた一馬少年は、中学2年の夏、家にあった干し芋を学生カバンに入れ、あと、醤油、塩、ナタ、ナイフ、スコップ、砥石、マッチをたずさえ、家出。
絶対に見つからない場所、すなわち、彼が社会科の授業で習っていた、山深い箇所にある鉱山の洞窟跡へと向かう。


その途中、耳慣れた声が。
可愛がっていた飼犬のシロが、家を去った一馬少年を慕い、微かな匂いを頼りに追って来たのだ。
一馬少年は、シロを抱きしめ、
「俺とお前はずっと一緒だ」(このシーンはウルウルもの)
と感涙にむせぶ。
やがて住めそうな洞窟を見つけ、望んだ2人(?)の生活が始まる、、、。


テレビドラマにもなった、このノンフィクション。
読んでいて、皮肉にも彼を虐待した父親に生活の中でいろいろと見せてもらったり、時に教えてもらったりしたことが、そのサバイバルライフを助けたことに気づかされた(昆虫や小動物の捕まえ方とか食べ方とか、枯れ木や藁を集めてねぐらを作る方法とか、焚き火のための着火剤代わりに松脂を使うとか)。


人間関係の基本である両親の愛を得られなかった一馬少年は、かつて
「お腹がすくより、猪に襲われるより、人間が怖い」
と語っていたが、オカでの軽犯罪で捕まった後、諸々あって
「1人じゃない」
と実感し、現在では施設でブルーベリーを栽培している。


その一馬少年こと令和の時代では加村翁の半世紀であり、サバイバル実話記。
サバイバルの実務もイラスト付きで公開している。

高齢者は薄味好みとされてきた理由の1つに、運動量の低下がある。

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先週末の土曜日は滋賀県中部にある24時間営業の総合スーパーで機能食のデモ。昨年からSNS上でも話題になっている、調理法も見た目も限りなくインスタントものに近いながら、肝心の味や栄養素もおろそかにしていない。つまり、簡単に作れるけれど、カラダのこともちゃんと考えている食品(だから機能食なのだ)。
着眼点は素晴らしいものの、願わくは、もう少し買い求めやすい価格ならなあ、、、。


さて、先だってのブログの続きである。
記事内で、
「一般に高齢者は薄味を好むとされているし、現実にもそれはあらわれているが、生物的には加齢と共に"みらい"という舌上で味を感じる機能が衰えてくるので、本来なら濃い味を求めるようになるはず。なのにそうならないのは、これまでの"高齢者は薄味好き"という刷り込みが世間に浸透し、高齢者がそれを実行しているうちに、刷り込まれたその味に慣れてくるからなのではないか」
と書いた。


この推測。人間心理をつかさどる諸々の観点から、こと日本人に関する限りはかなりの確率で当たっていると感じる。
同調圧力が強く、「和」を大切にする日本人は、本音の部分では少数派でいることを恐れている人が大半ゆえ、結果として多くの事柄が「多数派が支持している事柄こそが正しい」となるからだ。
もっとも、だとしたら、次の織田信長の有名なエピソードはどうとらえる?


織田信長が倒した敵の大将、三好義嗣の料理番であった坪内某。彼の腕の良さを家来に聞かされた信長はさっそく料理を作らせた。味が気に入ればこちらの料理番として召しかかえようと思ったのだ。


坪内某が作った料理を一口食べた信長は、しかし、「水くさい(薄い)」と激怒。坪内某を殺そうとした。そこを坪内某は「もう一度作らせて下さい」と懇願。果たして、2度目はうまくいった。信長は上機嫌で、坪内某が作った焼き物も吸い物も全部平らげたのだ。
1度目の時と、何が違ったのか?
塩気である。


坪内某が1度目に作った料理は、京風の薄味。本来つかえていた三好家は京にいた将軍家のまつりごとの一部を担当することもあった影響で、食生活もあっさりと上品な味付けだった。
ところが、信長は自ら先頭に立って戦(いくさ)に出かけるだけあって運動量が半端ではなく、したがって汗も多く流していたためか、カラダは塩分を求め、田舎風の濃味が好きだったのだ。


高齢になると薄味を好むとされる理由の1つに、この運動量の低下もあげられるのでは?
スポーツジムに通ったり毎日のように低山登山をしたりする活発な高齢者も今日日では少なくないが、全般的には若年層の方がよく活動する。当然、汗の消費量も多く、塩分は小まめに補給せにゃなあ。


ただ、塩分にせよ糖分にせよ脂質にせよ、何事も摂りすぎはよくない。


写真は織田信長(Public Domain)。
一説によると、尾張の郷土料理の焼き味噌をはじめとする、しょっぱくて濃い食べ物が大好きで、1日に40gもの塩分を摂っていたそう。

「高年者は薄味を好む」は本当か?〜煮卵の宣伝販売から考察する

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この日曜日の2月11日(建国記念日。祝日だ!)は、大阪府奈良県の境目にある某市のスーパーで、煮卵のデモ。
かなり苦戦したものの、完売した。
「やったぁ」
と、自分で自分をほめてやったね(自画自賛?)。


もっとも、その3日前の木曜日にも、奈良県に近い場所にある京都府内のスーパーで同じ内容のデモを行い、同じくしんどい思いをしつつ、「在庫は定番に2個だけ」の結果を得ていた。
つまり、売上の面では、両店舗はほとんど変わらなかったわけだ。


とは言え、試食されたお客様の反応はかなり違った。
その1つが、塩分に対する感知度である。


日曜日の店舗をA店、木曜日の店舗をB店とする。
A店のメイン客層は、家族ないし20代30代40代の単身者(店の隣に大学があることと関連しているかも)。
B店のメイン客層は、単身のお年寄り。


B店でデモをしていてお客様に度々言われた
「しょっぱいねえ(またはからいねえ)」
の声は、ここA店では、見事なまでに聞かれなかった。


ううむ、、、。
これって、メイン客層の年齢と関係ある?


一般に、人間(ひと)は加齢と比例して薄味を好むようになると、いつの頃からかまことしややかに言われており、現実にも塩気やこってり風味などの濃味を敬遠するお年寄りは多い。
ところが、舌上で味を感じるみらいなる機能は高年になると衰えてくるので、生物的本能からすると、むしろはっきりとした味(=濃味)を求める傾向が出てくるという。
それなのに、実際は逆。


ここで、またもや「ううむ」なのである。
この矛盾した実態は、もしかするの、ある種の刷り込みの結果なのかしら、、、「人は年齢を経ると高血圧など何かしらの生活習慣病になりやすい→その原因の1つに塩分や脂分の摂り過ぎがある→よって食事の味付けはあっさりと薄く」となり、それを実行しているうちに舌が慣れて味をキャッチする脳も納得する、という一連の流れで。


となれば、そもそもはアタマで食事をしているわけだから、トレーニング次第で人間は味覚をコントロール出来るようになる?


ううむ、、、。
ますますわからなくなってきたところへ、戦国時代の武将、織田信長の有名な逸話を思い出した(続く)。


写真は、フリー素材の煮卵のイラスト。
ラーメン屋においてあるような、黄身の部分をとろーりとしっとりと仕上げた煮卵を作るには、ちょっとしたコツが必要だ。

「お芋、お芋、みんな大好き、お芋」は永遠。

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ちょうど1週間前の今日は、滋賀県中部の近江八幡市にある大型店で、焼き芋のデモ。

大盛況で、面白いほど売れた。

 


焼き芋自体のデモは初めてだが、その原材料であるさつまいものデモは何度か体験している。

試食品は、レモン煮だったり、薩摩汁だったり、そして今回と同じ焼き芋だったり。

 


焼き芋の場合はトースターを使ったものだ。

さつまいもをアルミホイルで巻き、片方15分、もう片方も15分、計30分かけてじっくりと焼く。

簡単だし、本当にホクホクに仕上がるのだが、いかんせん30分に1本の割でしか焼き上がらないから、試食を求めるお客さんに十分な数を提供できないわなあ。

プラス、次から次へと芋を焼き続けるためにはトースターは常に作動していなければならず、その点もちょっと不安だった、、、ほら、トースターって長時間使っていると、発火する危険も、頻度は少ないながら、ないことはないんだよね、、、。

 


そこへいくと、スーパーやコンビニ内に設置してある専用焼き芋機でお店の人が焼いてくれたのを一口大に切って味をみていただくというのは、試食効率と安全性、どちらの面からもヨイわけだ。

 


何といっても、専用機で焼いた焼き芋は風味が違う。香りや食感も含め、真実、芋本来の素朴な美味を堪能できる(もっとも、それだからこその専用機なんだし)。

 


ふと、気がついた。

「キッチンカーでまわっていた焼き芋屋さんが減った」

と。

そう、ちょうど、スーパーやコンビニが焼き芋販売をスタートさせた頃からだ。

まあ、販売場所もあるんだろうけれど、キッチンカーの焼き芋とスーパーやコンビニの焼き芋は、味はともかく、価格は違うからねえ、、、スーパーもコンビニも200円台が一般的だもの。

 


販売形式は異なれど、焼き芋を好む人間の嗜好と味覚は変わらない。だいたい人の舌なんて、基本的に保守的なものだ。

それを前提に、

「お芋、お芋、みんな大好き、お芋」


は、永遠なんである。

 


写真は、当日の現場の所在地であったJR近江八幡駅の階段にえがかれたイラスト。近江八幡の観光名物の1つ「水郷めぐり」もしっかりとPRされている。

職業生活には旬がある?〜シニアが働き続けるキイは総合的な人間力

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自身の銀行員生活を赤裸々にえがいた「はみ出し銀行マン」シリーズを書いた横田濱夫氏は、著書内で、こう書いている。


「野菜じゃないけど、あるんだよね、銀行員にも旬が」


ううむ、、、旬ねえ、、、。

「働き盛り」という言葉もあるからなるほどとも感じないでもないが、

「いや、どうこう言っても人間とトマトやキュウリを同じにしてはいけないぞ。だって旬を過ぎても萎れたり枯れたり腐ったりはしないからねえ」

とも思ったり。


ただ、これだけは確か。

仕事内容を量の面だけでとらえたら、自身の「盛り」を越えれば、こなせるタスクの数は次第に減っていく。

反面、仕事内容を質の面でとらえたら?

「盛り」は、さほど関係ないでしょう? 

特に、専門技術や対人を要する業務はね。

段取り、慣れ、気配り、カン。

プラス、総合的な人間力


ここにシニアが働き続けるキイがある気がする。


写真は、奈良県大和郡山市にある商店街。

アーケードの屋根に書いてあるように、心と心の真のふれあいがさりげなく出来るのも、シニア世代の強みだ。